著名人に聞く|能楽師 安田 登 氏

ものを真似て生み出した重層的な日本文化。それを伝承していくのが私の役目。

能楽師・安田登氏は、国内外の舞台でワキを演じる傍ら、東京の寺で月に2回、日本文化の素晴らしさを伝承するために、謡曲と論語を中心とした寺子屋を開く。能も論語も時代を超えて、日本人に愛され続ける理由は何か? そのキーワードには「心」があった。

01_shijyukukai能は今から約650年前の室町時代に、観阿弥・世阿弥父子によって大成され、今に受け継がれている芸能です。こんなに長い間、一度も途絶えることなく受け継がれている芸能は、世界をみても稀といわれていますが、今の時代は、日本人でも能について知らない人も多いことでしょう。
能の主な登場人物は、面をつけて舞台で謡い、舞う主人公のシテと、シテと会話をし、シテの話を引き出すものの、シテが語り始めると、舞台の脇でひたすら話を聞くワキの二人。物語の多くは、旅人であるワキが、ある「ところ」へ行くと、ひとりの女性(または老人)の姿をしたシテに出会うことから始まります。二人は初め、その土地の話などをしますが、途中から話は深刻なものへとなっていき、どうもその女性はこの世の人ではないことに旅人は気づきます。すると、女性は、自分の正体をほのめかしつつ、どこかへ消えてしまいます。ここまでが前半で、後半になると、先ほどの女性が本来の姿に変貌し、昔、その「ところ」であった出来事の悲しみや憎しみといった無念の思いを謡い、舞うというのが、能の典型的な展開です。

ワキの役目はシテの思いを全身全霊を込めて聞くこと。

能には多くの演目がありますが、シテを演じるのは、シテ方という流派に属する人たちで、その人たちは一生シテを演じ、ワキを演じるワキ方に属する人たちは、一生ワキを演じます。私が能の世界に入ったのは、27歳の時。それまでは、教員をしたり、漢和辞典を作ったりしていましたが、20代半ばに初めて観た能で、のちに私の師匠となるワキの独特な声に、衝撃を受けたのがきかっけです。 ワキは、主役のシテと比べると影が薄く、その名のイメージから"脇役"と思われがちですが、それほど単純なものではありません。ワキとは、本来、「横(の部分)」を指し、例えば着物なら、脇の縫い目の部分をいいます。これは、その場所(ワキ)が着物の前の部分と後ろの部分を「分ける」ところであることを表しています。つまり、ワキには「分ける」という役割があります。
能におけるワキの役目は、シテの心を分ける=整理してあげること。物語では、二人が出会う「ところ」に、思いを残して去ったシテが、その残恨の思いを誰かに聞いてもらいたい、すなわち思いを晴らしたいがために現れます。ところが、こうした思いは、本人ですらうまく整理ができず、心はぐちゃぐちゃの状態です。それをワキが聞き出し、シテが語り始めたら、あとは舞台の脇に座り、全身全霊を込めてただひたすら話を聞くだけなのです。このただ聞いてくれる存在は、現在でいえばカウンセリングに近いかもしれませんね。
教育の場においても、ただひたすら聞くということは、とても大事だと思います。例えば、自由奔放に過ごしていた小学生から、中学生・高校生へと成長していく時期。子どもたちは、着たくもない制服を着たり、本当は騒ぎたいのに騒げなかったりと何かしらの抑圧を感じていることでしょう。その不満や不安な感情がときどき顔を出す時、大人は子どもの話を聞こうとしますが、その時の聞く姿勢が、興味本位だったり、上から目線であったりすれば、子どもは語る気にもなれないでしょう。でも、ただひたすら聞くという姿勢であれば、子どもの心は安心し、自ら語ることで自分の気持ちを整理することができるのです。

人は〝心〟を得たことで不安や後悔を知った。

01_shijyukukai_03能では「心」を扱いません。能で扱うのは表層の「心」の奥にある「思い」です。しかし、私たちはふだん「心」に振り回されています。人が「心」を持つようになったのは、いつ頃からだと思いますか?「心」を持つ?「心」なんて初めからあるに決まっているじゃないかと思うかもしれませんが、実は、人が「心」という新興概念持つようになったのは、それほど古くはなく、約3000年前と考えられています。では、それまで人はどういう生き方をしていたかといえば、ただ自分の運命を受け入れ、その日その日を過ごすだけの生活を送っていました。
今、私は能楽師として、国内外の舞台に立つ傍ら、東京都渋谷区にある東江寺というお寺で、ご住職と一緒に月に2回ほど寺子屋を開いています。ここで私は、日本文化を形成するものとして、日本古典の能と漢籍の『論語』を中心にお話をさせていただいています。
論語は言わずと知れた儒教の経典ですが、その教えを唱えた孔子が活躍した時代から、さらに500年から700年もの間、弟子の口から弟子の口へと伝えられた教えを、漢の時代に編んだ書物です。その中身は、大きく見ると、自分の心との向き合い方について書かれていますが、実は、「心」という漢字は、孔子が活躍するほんの500年前まではこの世に存在しませんでした。では、それまでは、人に心はなかったのでしょうか? 多分、心はあったのでしょうが、それを意識することがなかったのです。
人は心を手に入れたことで、今を過ごすだけの生活から、過去を振り返り、未来を変える生活ができるようになりました。しかし、それと引き替え、心がなければ感じずに済んだ不安や後悔といった感情も味わうことになります。論語は、そうした感情とどう向き合っていけばよいか分からない人々に、心の使い方を指南した「心のマニュアル」だったのではないか、と私は思います。

あらゆる文化を受け入れ重層的に変化させる日本人。

01_shijyukukai_2今、教育の現場では、改めて論語が注目されています。能は650年も続いている奇跡の芸能といわれていますが、論語はそれをさらに上回る2000年もの間、読み続けられている、まさに活きている古典です。この2つは、古くから伝えられているという共通点のほかに、もうひとつ共通していることがあります。それは、一見つまらないものなのに、無意識のうちに心の深いところに響くという点です。
よく、能を観ると眠くなるといわれます。能を知らない人は、言っていることが分からないから眠くなると思っているようですが、実は能に詳しい人でも眠ってしまいます。能が眠りを誘う本当の理由は、そのゆっくりとした謡が、観客の呼吸に伝染してしまうからで、体ではなく身で反応しているからなのです。観客は舞台の物語を観ながら、いつの間にか自分の心の中へと入ってしまうのです。論語もそれと同じで、読む人によってそのとらえ方はさまざまで、その人にとっての心の指南書として読み継がれています。
そもそも能も論語も、口伝えで伝承されてきた文化です。ですから、その時代の背景が少なからず影響しているに違いありません。だからこそ、いつの時代でも人々の心に響くことができたのです。
ナチスによるユダヤ人大虐殺の証言を集めた『ショアー』という映画の中で、「ユダヤ人とは聖書を読む民である」という表現がありました。では、日本人が仮に国を亡くした時、私たちは何を持って日本人といえるのでしょうか? よく日本文化は重層的であるといわれます。仏教という強固な論理性を持った宗教が入ってくれば、その以前の宗教である神道は、通常であれば滅びていくものです。ところが、日本人は神道という層に重ねて、仏教という層を置き、神道を排除することなく独自の文化を作っていきました。宗教のみならず、文学や建築、料理や服装もそう。つまりあらゆる文化を残したまま、日本風に変えていくのが得意な民なのです。
そんな日本人の特質こそを、私は後世に残していきたい。そう思い、始めたのが寺子屋だったのです。

学ぶとは、体を使ってものの本質を真似ること。

寺子屋では、その日に伝えたいテーマはある程度決めてはおくものの、私一人が話すのではなく、参加者の方にも一緒になって考えていただき、みんなで何かを創り出す場にしています。そういう意味では、ライブと同じ感覚ですね。学びの中心は、論語や古事記といった古典ですが、講座に入る前には、ご住職とともに般若心経などを読経しますし、ミサ曲の「キリエ」を歌うこともあります。ここでは、机に向かって勉強をするのではなく、体を使った学びをします。
「学」という漢字は、古い文字で書くと、師が両手を使って、学校のようなところで、師弟に手取り足取り何かを教える姿をしています。これは、五感を使ってフルに何かを真似ること、すなわち体を使った学びをいいます。日本人が古くから身に付けてきたのは、ものの本質のみを真似る「もの真似」であり、うわべだけを真似る「猿真似」とは異なります。さまざまなものを重層的に真似てきた日本の文化は、一朝一夕にできるものではありません。だからこそ価値があるのです。ですから、私もゆっくり時間をかけてその素晴らしさを伝えていきたいと思っています。

プロフィール

安田 登 (やすだ・のぼる)
01_yasuda_noboru1956年生まれ。大学時に中国古代哲学を専攻。能楽師、公認ロルファー(米国のボディワーク、ロルフィングの専門家)。能楽師として国内外で舞台をつとめるほか、小学校から大学院までの各学校や市民講座で、能の身体技法をテーマにしたワークショップを開催。また、月に2回、東京都渋谷区広尾にある東江寺で、論語と謡曲を中心とした寺子屋を開いている。著書に『身体感覚で「論語」を読みなおす。」(春秋社)、『異界を旅する能 ワキという存在』(ちくま書房)など多数あり。

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