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著名人に聞く|太田 英基 氏

思考の枠を世界に広げれば、人生の可能性は無限に広がる。s_m

「グローバルにビジネスを展開するとは、どういうことか?」一人の大人の問いが、時代の最先端を走っていた若者の人生を変えた。世界の人口は、70億人。世界の広さは、日本の約400倍。生きる舞台を世界に変えたら、人生はもっとおもしろくなる。

 

やりたいことは待っていても見つからない

東北の温泉町で生まれ育った僕にとって、東京は憧れの街でした。将来、経営者になりたいという漠然とした夢を持っていた僕は、都内にある私立大学の経営学科へ進学。これから始まる大学生活に胸を膨らませていました。

ところが、入学早々いろいろなサークルに参加してみたものの、どこにいても中途半端で、自分の居場所を見出せず… 。大学の授業も退屈で、新生活のモチベーションは下がっていくばかり。「大学生になったら、やりたいことが見つかるはず!」という根拠のない期待は、上京してすぐに砕けてしまったのです。

その時に思ったのが、「やりたいことは、自分から動かなければ見つからない」ということ。ならば、どうやって自分のやりたいことを見つけようか? そう思っていた時に手にしたのが、1枚のチラシでした。

仲閒と立ち上げた「タダコピ」

それは、学生だけで経営をしている小さなバーの求人でした。経営を学びたいと思って進学したものの、大学の授業では物足りなかった僕は、経営のノウハウを実践的に学ぶために、その仲閒に加わりました。s_3

その後、仲閒の一人と「タダコピ」を企画。「タダコピ」とは、コピー用紙の裏に広告を載せることで、コピー代をタダにするサービスで、「コピーを無料でしたい大学生」と「大学生に広告を届けるスペースが欲しい企業」をマッチングさせたもの。今では、全国160以上の大学でこのサービスを展開していますが、はじめから事がスムーズに運んだわけではありませんでした。

僕たちは、まず、ゼミの活動の一環として、トライアルコピー機を1台、大学に置いてもらうよう交渉しました。広告は大学の近くにある飲食店などにお試しとしてお願いをし、実際のコピー代は自分たちが負担をしました。こんなものが本当にビジネスになるのだろうか…? ところが、2週間の約束で試した8千枚のコピー用紙が、わずか1週間でなくなってしまったのです。トライアル期間中、僕たちは200人近くの学生にアンケートを取りました。紙質がイマイチ、裏の広告が透けるのがイヤなどの意見はありましたが、「このサービスの継続を希望するか?」という質問には、すべての学生からYESの回答があり、僕たちは確かな手応えを感じました。

その後、あるビジネスプランコンテストで最優秀賞を獲得したのを機に法人化し、さまざまなメディアに取り上げられたこともあって、事業は順調に拡大していきました。その頃の僕は、東京で、時代の最前線を走っている学生起業家と思い込んでいるところがありました。

僕の考えを一変させた本当の「グローバル」

そんな僕に、これまでの価値観を一変させる出来事がありました。起業して1年が過ぎたある日、友人に誘われて少人数の勉強会に参加しました。講師は、アメリカのコンサルティング会社・マッキンゼー&カンパニーの東京支社長を務めていた横山禎徳さん。横山さんの提案で、活動的な大学生を集めて話をしたいということで、幸運にも僕に声がかかったのです。集まった学生は7人。学生起業家、NPO理事など、当時の学生にしては、なかなかの活動的なメンバーでした。

そこで、横山さんは突然こんな質問をしたのです。「グローバルにビジネスを展開するとはどういうことか? 分かる人は?」

僕は自信を持ってこう答えました。「良いアイデアが浮かんだら、まず東京でやってみる。東京でうまくいったら、大阪、名古屋へ。東名阪でうまくいったら全国展開をし、日本でうまくいったらアジア、アメリカと広げていく。これがグローバルにビジネスを展開することだと思います。」

ところが、横山さんはキッパリこう言いました。「それは、多くの日本人の発想だが、違う。本当にグローバルに動いているビジネスマンは、良いアイデアを浮かんだら、『それが地球のどこで求められているのか』をまず考えるんだ。例えば、Aというアイデアが思いついたら、日本人には必要ないかもしれないけれど、メキシコ人には必要とされているかもしれないと思考する。例えば、ブラジルで流行っているBというサービスをイスラエルに持っていっても通用するのではないかと思考するんだ。それが、世界を舞台に、グローバルにビジネスをすることなのだよ。」

僕は自分の発想の乏しさに愕然としました。僕がこれまで「たくさんの人」と思っていたのは、日本という小さな国だけに限られていたことに気づかされました。

世界には、自分の知らない世界があった

実際、僕は世界でビジネスをする土俵にさえ立てていなかったのです。日本でタダコピが広がり、いよいよ上海へ! というチャンスをもらった時、僕らは自分たちのアイデアには自信があったけれど、それをアピールする語学力がなく歯がゆい思いをしたことがありました。その時、改めて痛感したのが、英語力の必要性です。

けれど、僕が実際に行動を起こすのは、それから2年も経った24歳の時でした。30歳になった時、どんな自分でありたいか? を考えたのです。そこで出てきたのが、「世界を舞台に活躍できる人間になりたい」という目標でした。そのために、今何をするか? を考え、挙がったのが次の3つです。

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①英語力
②世界中に仕事の相談もできる友達を作る
③世界中のリアルを自分の目で見て知る

そして、それらすべてを実現できるものとして浮かんだアイデアが、「世界一周の旅」だったのです。旅といっても、僕の場合は、その国で暮らす人についてもっと知りたいという気持ちが一番だったので、そのコミュニケーションツールとして英語は必須でした。そこで、まずフィリピンで3カ月間、英語を集中的に学びました。それから、バックパックに旅の衣類の他にスーツと革靴を詰め込み、「カウチサーフィン」という世界に550万人以上のユーザーがいるコミュニティーサービスを利用して、各国で会いたい人にアポイントをとり、世界を知る旅に出ました。2年間かけて訪れた国は、およそ50カ国。苦手だった英語を克服し、世界で暮らす1000人以上の人々と交流し、世界のリアルを肌で感じました。なかでも僕を刺激してくれたのは、自分の意志でその国を選び、そこで働いている同世代の日本人でした。

僕はゆとり教育が始まった頃に学生時代を過ごし、社会に出た時は不景気、就職難とネガティブな時代でした。グローバル人材の必要性も、「このままでは日本がヤバイ」という観点から言われ続け、だからこそワクワクできなかった。けれども、既に世界で活躍している先駆者たちは、みんなそれなりに苦労は経験しているけれど、日本を飛び出したことで、間違いなく人生の可能性が広がっているように感じたのです。そして、僕自身も、世界に飛び出たことで、自分の可能性が広がりました。

若者よ、世界を目指せ!

帰国後、僕はフィリピン語学留学での経験を生かし、留学クチコミサイトを立ち上げました。フィリピンで英語を学ぶことは、読み書きよりも、話す・聞くが苦手な日本人に最適なマンツーマンレッスンであること、物価や人件費が安いフィリピンだからこそ実現するコストパフォーマンスなど魅力はいくつかありますが、僕が勧めているのはそれだけではなく、そこで習得した英語をぜひ世界で活かして欲しいという思いがあります。s_2

フィリピンに滞在している時、こんな出来事がありました。僕はフィリピンで広告会社の仕事をしている23歳の若者たちと仲良くなり、彼らとお茶をしていました。その時、「転職について」の話題が出たのですが、彼らから出た言葉は、「俺は数年以内にイギリスに行きたいね!」「イギリス? 僕は香港かシンガポールだな。中国もおもしろそう」といったもので、国内ナンバーワンの広告会社への転職か、違う業界への転職を望んでいるのかと思っていた僕は、彼らの視野の広さに驚きました。彼らにとっての転職は、「どこの会社で」ではなく、「どこの国で」だったのです。

でも、今の僕は彼らと同じ思考を持っています。今は日本人向けの留学クチコミサイトですが、フィリピンには日本人より遙かにたくさんの韓国人が英語を学んでいます。こうした人たちの生の声を拾っていけば、クチコミサイトはより最新のリアルな情報を発信することができる。また、日本人や韓国人以外の国でも、英語を学びたい人はいるはずです。そう考えていけば、このビジネスはどこまでも可能性を広げていくことができるのです。

しかし、今の若い世代は、そういうやり方があることを知らずにいます。けれども、それは彼らがダメなわけではない。そういう生き方があるということを伝えてこなかった大人たちの責任だと僕は思います。だから、僕は大人の一員として、次の世代にはしっかりと伝えていきたいんです。これから頭の中に描く地図を、日本地図から世界地図に塗り変えていこう、可能性を拡げようって。日本がヤバイからではなく、世界がオモシロイから僕らは動いていくんだと。そう、僕は伝えていきます。

〈プロフィール〉
株式会社スクールウィズ 代表取締役 太田 英基(おおた・ひでき)

1985年、宮城県蔵王町出身。中央大学卒。大学2年の時に、ビジネスプランコンテストで最優秀賞を獲得し、株式会社オーシャナイズを仲閒と共に起業。広告事業「タダコピ」を全国の大学に広げる。丸5年働いた後、フィリピン英語留学を経て、「若者のグローバル志向の底上げ」を使命に、「サムライバックパッカープロジェクト」を立ち上げ、世界一周の旅へ。約2年間、50カ国を旅しながら、現地で働くビジネスマンを中心に1000人以上と交流する。帰国後は、講演・執筆活動をしながら、フィリピン留学のクチコミ情報サイト「School With(スクールウィズ)」を立ち上げる。

 

(取材・文/石渡 真由美)

著名人に聞く|能楽師 安田 登 氏

ものを真似て生み出した重層的な日本文化。それを伝承していくのが私の役目。

能楽師・安田登氏は、国内外の舞台でワキを演じる傍ら、東京の寺で月に2回、日本文化の素晴らしさを伝承するために、謡曲と論語を中心とした寺子屋を開く。能も論語も時代を超えて、日本人に愛され続ける理由は何か? そのキーワードには「心」があった。

01_shijyukukai能は今から約650年前の室町時代に、観阿弥・世阿弥父子によって大成され、今に受け継がれている芸能です。こんなに長い間、一度も途絶えることなく受け継がれている芸能は、世界をみても稀といわれていますが、今の時代は、日本人でも能について知らない人も多いことでしょう。
能の主な登場人物は、面をつけて舞台で謡い、舞う主人公のシテと、シテと会話をし、シテの話を引き出すものの、シテが語り始めると、舞台の脇でひたすら話を聞くワキの二人。物語の多くは、旅人であるワキが、ある「ところ」へ行くと、ひとりの女性(または老人)の姿をしたシテに出会うことから始まります。二人は初め、その土地の話などをしますが、途中から話は深刻なものへとなっていき、どうもその女性はこの世の人ではないことに旅人は気づきます。すると、女性は、自分の正体をほのめかしつつ、どこかへ消えてしまいます。ここまでが前半で、後半になると、先ほどの女性が本来の姿に変貌し、昔、その「ところ」であった出来事の悲しみや憎しみといった無念の思いを謡い、舞うというのが、能の典型的な展開です。

ワキの役目はシテの思いを全身全霊を込めて聞くこと。

能には多くの演目がありますが、シテを演じるのは、シテ方という流派に属する人たちで、その人たちは一生シテを演じ、ワキを演じるワキ方に属する人たちは、一生ワキを演じます。私が能の世界に入ったのは、27歳の時。それまでは、教員をしたり、漢和辞典を作ったりしていましたが、20代半ばに初めて観た能で、のちに私の師匠となるワキの独特な声に、衝撃を受けたのがきかっけです。 ワキは、主役のシテと比べると影が薄く、その名のイメージから"脇役"と思われがちですが、それほど単純なものではありません。ワキとは、本来、「横(の部分)」を指し、例えば着物なら、脇の縫い目の部分をいいます。これは、その場所(ワキ)が着物の前の部分と後ろの部分を「分ける」ところであることを表しています。つまり、ワキには「分ける」という役割があります。
能におけるワキの役目は、シテの心を分ける=整理してあげること。物語では、二人が出会う「ところ」に、思いを残して去ったシテが、その残恨の思いを誰かに聞いてもらいたい、すなわち思いを晴らしたいがために現れます。ところが、こうした思いは、本人ですらうまく整理ができず、心はぐちゃぐちゃの状態です。それをワキが聞き出し、シテが語り始めたら、あとは舞台の脇に座り、全身全霊を込めてただひたすら話を聞くだけなのです。このただ聞いてくれる存在は、現在でいえばカウンセリングに近いかもしれませんね。
教育の場においても、ただひたすら聞くということは、とても大事だと思います。例えば、自由奔放に過ごしていた小学生から、中学生・高校生へと成長していく時期。子どもたちは、着たくもない制服を着たり、本当は騒ぎたいのに騒げなかったりと何かしらの抑圧を感じていることでしょう。その不満や不安な感情がときどき顔を出す時、大人は子どもの話を聞こうとしますが、その時の聞く姿勢が、興味本位だったり、上から目線であったりすれば、子どもは語る気にもなれないでしょう。でも、ただひたすら聞くという姿勢であれば、子どもの心は安心し、自ら語ることで自分の気持ちを整理することができるのです。

人は〝心〟を得たことで不安や後悔を知った。

01_shijyukukai_03能では「心」を扱いません。能で扱うのは表層の「心」の奥にある「思い」です。しかし、私たちはふだん「心」に振り回されています。人が「心」を持つようになったのは、いつ頃からだと思いますか?「心」を持つ?「心」なんて初めからあるに決まっているじゃないかと思うかもしれませんが、実は、人が「心」という新興概念持つようになったのは、それほど古くはなく、約3000年前と考えられています。では、それまで人はどういう生き方をしていたかといえば、ただ自分の運命を受け入れ、その日その日を過ごすだけの生活を送っていました。
今、私は能楽師として、国内外の舞台に立つ傍ら、東京都渋谷区にある東江寺というお寺で、ご住職と一緒に月に2回ほど寺子屋を開いています。ここで私は、日本文化を形成するものとして、日本古典の能と漢籍の『論語』を中心にお話をさせていただいています。
論語は言わずと知れた儒教の経典ですが、その教えを唱えた孔子が活躍した時代から、さらに500年から700年もの間、弟子の口から弟子の口へと伝えられた教えを、漢の時代に編んだ書物です。その中身は、大きく見ると、自分の心との向き合い方について書かれていますが、実は、「心」という漢字は、孔子が活躍するほんの500年前まではこの世に存在しませんでした。では、それまでは、人に心はなかったのでしょうか? 多分、心はあったのでしょうが、それを意識することがなかったのです。
人は心を手に入れたことで、今を過ごすだけの生活から、過去を振り返り、未来を変える生活ができるようになりました。しかし、それと引き替え、心がなければ感じずに済んだ不安や後悔といった感情も味わうことになります。論語は、そうした感情とどう向き合っていけばよいか分からない人々に、心の使い方を指南した「心のマニュアル」だったのではないか、と私は思います。

あらゆる文化を受け入れ重層的に変化させる日本人。

01_shijyukukai_2今、教育の現場では、改めて論語が注目されています。能は650年も続いている奇跡の芸能といわれていますが、論語はそれをさらに上回る2000年もの間、読み続けられている、まさに活きている古典です。この2つは、古くから伝えられているという共通点のほかに、もうひとつ共通していることがあります。それは、一見つまらないものなのに、無意識のうちに心の深いところに響くという点です。
よく、能を観ると眠くなるといわれます。能を知らない人は、言っていることが分からないから眠くなると思っているようですが、実は能に詳しい人でも眠ってしまいます。能が眠りを誘う本当の理由は、そのゆっくりとした謡が、観客の呼吸に伝染してしまうからで、体ではなく身で反応しているからなのです。観客は舞台の物語を観ながら、いつの間にか自分の心の中へと入ってしまうのです。論語もそれと同じで、読む人によってそのとらえ方はさまざまで、その人にとっての心の指南書として読み継がれています。
そもそも能も論語も、口伝えで伝承されてきた文化です。ですから、その時代の背景が少なからず影響しているに違いありません。だからこそ、いつの時代でも人々の心に響くことができたのです。
ナチスによるユダヤ人大虐殺の証言を集めた『ショアー』という映画の中で、「ユダヤ人とは聖書を読む民である」という表現がありました。では、日本人が仮に国を亡くした時、私たちは何を持って日本人といえるのでしょうか? よく日本文化は重層的であるといわれます。仏教という強固な論理性を持った宗教が入ってくれば、その以前の宗教である神道は、通常であれば滅びていくものです。ところが、日本人は神道という層に重ねて、仏教という層を置き、神道を排除することなく独自の文化を作っていきました。宗教のみならず、文学や建築、料理や服装もそう。つまりあらゆる文化を残したまま、日本風に変えていくのが得意な民なのです。
そんな日本人の特質こそを、私は後世に残していきたい。そう思い、始めたのが寺子屋だったのです。

学ぶとは、体を使ってものの本質を真似ること。

寺子屋では、その日に伝えたいテーマはある程度決めてはおくものの、私一人が話すのではなく、参加者の方にも一緒になって考えていただき、みんなで何かを創り出す場にしています。そういう意味では、ライブと同じ感覚ですね。学びの中心は、論語や古事記といった古典ですが、講座に入る前には、ご住職とともに般若心経などを読経しますし、ミサ曲の「キリエ」を歌うこともあります。ここでは、机に向かって勉強をするのではなく、体を使った学びをします。
「学」という漢字は、古い文字で書くと、師が両手を使って、学校のようなところで、師弟に手取り足取り何かを教える姿をしています。これは、五感を使ってフルに何かを真似ること、すなわち体を使った学びをいいます。日本人が古くから身に付けてきたのは、ものの本質のみを真似る「もの真似」であり、うわべだけを真似る「猿真似」とは異なります。さまざまなものを重層的に真似てきた日本の文化は、一朝一夕にできるものではありません。だからこそ価値があるのです。ですから、私もゆっくり時間をかけてその素晴らしさを伝えていきたいと思っています。

プロフィール

安田 登 (やすだ・のぼる)
01_yasuda_noboru1956年生まれ。大学時に中国古代哲学を専攻。能楽師、公認ロルファー(米国のボディワーク、ロルフィングの専門家)。能楽師として国内外で舞台をつとめるほか、小学校から大学院までの各学校や市民講座で、能の身体技法をテーマにしたワークショップを開催。また、月に2回、東京都渋谷区広尾にある東江寺で、論語と謡曲を中心とした寺子屋を開いている。著書に『身体感覚で「論語」を読みなおす。」(春秋社)、『異界を旅する能 ワキという存在』(ちくま書房)など多数あり。

著名人に聞く|TOSS代表・TOSSランド主宰 向山 洋一 氏

日本の教育が抱える3つの大きな問題点。それを改善するために努力したい。

長年、小学校教諭として教鞭を執ってきた向山洋一氏は、その間、学校教育だけに留まらずさまざまな活動をおこなってきた。それを可能にしてきたのは子どもが好きだというひたむきな想いと、日本の教育を改革したいという熱い情熱だ。向山氏が考える日本の教育の問題点とは、そしてそれを改善する方法とは、を探った。

日本の教育が抱える問題点とは

メイン現在の日本の教育が抱える問題点は、大きく3つあると思っています。まず1つ目が、戦後の統治によってそれまでの師範学校制度が廃止され、教師を養成する手段を失っているということです。教師に必要なのは一般教養であり、専門性は不要だとした戦後の統治時代。それによって教師の専門性は除外されてしまいました。しかし私は、教師を育成するには師範学校のように、教師の専門性を育む必要があると思っています。

それから、現在の教育学部では「教え方」や「授業の仕方」を教えることはほとんどありません。医学部では教授が実際の手術をおこなってみせるのに対し、教育学部では教授が授業を実際にしてみせるということはほとんどないのです。私が調査したところによると、ある大学では授業の練習をするカリキュラムは国語で5%、算数で3%しかありませんでした。あまりにも授業を練習する場が少ない。したがって、教師を目指す学生たちは、自己流で指導法を身につけなければならないのです。
確かに教師の指導力を支援したりするための免許更新制度が、2009年より導入されました。しかし現状では大学に任せっきりになっており、機能しているとは言いがたい部分があります。講習を受けた教師は、文部科学省のレポートに「講習は役に立った」と書くようですが、私は果たして本当にそうなのかと思い、別口でアンケートをおこなってみました。すると「現行の免許更新制度は有益だと思いますか」という問いに対し、「有益だった」が1人、「どちらかといえば有益」が14人、「どちらかといえば有益じゃない」が53 人、「有益じゃない」が105人という結果が出ました。「10年前に自分が大学で受けていた授業と変わらない」というのが主たる批判内容で、教師たちは講習をパスするために仕方なく「役に立った」と答えていたのです。

13年2月6日、安倍内閣のもとで就任した下村博文 文部科学大臣より、教育再生と学力向上についての改革案を提案してほしいとの要請を受け、私はこのアンケート結果などを持って「実際はこうなっています」と報告。免許更新制度の講座は大学だけに任せるのではなく、民間団体のものも取り入れ、自由に競争させていく必要があると具申しました。今後は塾などにも、免許更新制度の講座を依頼するような動きになるはずだと思います。

考昔の家庭教育をもう一度取り戻すために

2つ目に現在の教育の問題点として私が考えているのが、伝統的家庭教育が失われているということです。明治時代に訪れた100名以上の外国人は、日本の家庭でおこなわれていた子育てにショックを受けたといいます。子どもを鞭で叩いて叱っていた当時の西洋とは違い、日本では「怒鳴らない、叱らない」やさしい育て方をしていたのです。当時の日本の家庭の子育てを、外国人たちは「子どもの楽園」と表現したほど。しかしそれが、戦後になって失われてしまいました。

s そこで私が必要だと思っているのが、「伝統的価値観に基づいた子育て」を取り戻すことです。つまり、親が教育について学ぶ「親学」というものを推進していくことが必要だと思っています。私は超党派の議員によって構成されている「親学推進議員連盟」の事務局として、その立ち上げに関与してきました。この連盟は安倍晋三内閣総理大臣をはじめ、みんなの党代表の渡辺喜美氏、自民党の町村信孝氏など、さまざまな議員の方が参加しています。門戸は広く開放しており、塾の方も参加されるようになってきました。今後は家庭教育支援法の制定など、さまざまな取り組みをおこないながら、明治時代のようなやさしい家庭教育を取り戻していきたいと考えています。

日本の教育が抱える問題点の3つ目が、日本の本当の姿カタチを教えなくなったという点です。歴史的背景から政府として遠慮する部分もあったと思いますが、今後は尖閣諸島や北方領土など、本来の日本の姿をきちんと教える必要があるでしょう。古事記、日本書紀をはじめ、日本の歴史もきちんと教える必要があります。そうして、日本に誇りを持てる子どもを育てることが重要だと思います。

教育の法則化に傾けた熱い情熱

s2先ほど申し上げた3つの問題点を改善すべく、私は「教育技術の法則化運動」を呼びかけました。そうして1984年に誕生したのが、日本の教育界のすぐれた教育技術や方法を教師の共有財産にしようとする、Teacher’s Organization of Skill Sharing(以下TOSS)です。TOSSには数万名を超える教師が参加しました。指導法には効果があるものもないものもたくさんあります。日々教師はそれぞれ努力をしているわけですから、実例を出し合いながら、教育技術の法則化を図っていこう。私たちが求めたのは、誠実な実践と熱意ある研究に基づいた法則でした。たとえいままでよりも1%の効果しかない指導法でもよい、という強い意志で数多くの教師から法則化論文を収集。寄せられた実践や論文を元に多くの教師が追試し、ほかの教師がさらにそれに工夫を加える。そうやって確かな指導法・技術を作り上げました。作り上げた指導法は『法則化シリーズ』として出版。何千冊ものシリーズ本を発刊し、それを上回る雑誌を世に送り出すことができています。また、法則化運動で得られた副産物として大きかったのが、教師たちが応募論文を書くことによって、授業の腕を飛躍的に向上させることができたということです。

教育技術の法則化運動は2001年12月、当初の規約通りその役目を果たして解散しましたが、当時はインターネットがさらに普及していこうという時代。運動の解散は決定していたものの、TOSSの運営は引き続きおこなうことを決め、00年からは教師に有益な情報を無料で届ける「TOSSランド」というサイトを開設しました。TOSSランドで公開している1万2000以上ものコンテンツは、教育技術の法則化運動などで培った有益な情報ばかりで、現在では1ヶ月のページビューが1000万を超えているほか、世界70か国からのアクセスがあります。

また、TOSSでは教師の育成だけではなく、「どの子も大切にされなければならない。一人の例外もなく」というコンセプトのもと、教材や教具の開発もおこなっています。そうした理念のもとに開発したのが「五色百人一首」や「算数ノートスキル」「スーパーとびなわ」といった教材です。日本古来の優れた伝統文化を、教材というカタチに進化させた五色百人一首は、その全国大会を開催。これまでに300万人の子どもたちと8万人の教師たちが体験しています。こうした取り組みを通じ、教育界を大きく変革していきたいとTOSSでは考えています。

指導の基本とは「教えてほめる」ことである

子どもたちを指導する際の基本は、「教えてほめる」ことです。これは塾の先生方もよくご存じでしょう。しかし、まだまだ叱って育てる教師が多いと私は思っています。教えてほめるとは、具体的にはどうすればいいか。たとえば、こんな例があります。

s4 ある若い先生が、小学校4年生のクラスの担任になりました。そのクラスには掃除の時間になってもチャンバラばかりやっているグループがいる。普通の先生であれば「ちゃんとやりなさい」「掃除しなきゃだめでしょ」というのだと思いますが、その若い先生は違いました。「みんなおいで」とチャンバラに夢中な生徒を呼び集め、掃除の仕方を実際にやってみせたのです。「掃除というのはね、こうやってゴミを集めるんだよ。それをちりとりで取って、取ったゴミはゴミ箱に捨てる。それでゴミ箱にゴミがたまったら、今度はゴミ捨て場に捨てにいくんだ」。そうすると、チャンバラをしていた子どもたちは次の日からみんな静かに掃除をするようになったのです。さらにその先生は「よくできたね、掃除はそうやってやるんだよ」と、子どもたちをほめてやりました。この一連の指導が「教えてほめる」ということです。こうした状況の場合、「真面目にやりなさい」と言うことが教えることだと錯覚してしまっている教師がたくさんいます。でもそれは注意しているだけです。きちんとやり方を教えてあげて、少しでもよくなったら「よくできたね。それでいいんだよ」と何度でもほめてあげる。それが「教えてほめる」という、教師がおこなうべき仕事なのです。塾の先生も日々生徒を教えるなかで、迷うこともあるかもしれません。でもこの「教えてほめる」という基本だけは忘れないでいただきたいですね。

それから最後に、長く公教育に携わってきた者の立場から、公教育と塾との連携についてお話したいと思います。私は公教育と塾が連携することについては、大いに賛成です。ただ、その仕組みをどうやって作っていくかが問題だと思います。分かりやすい仕組み作りができれば、多くの人から賛同が得られるでしょう。これからはぜひ私塾のみなさんと手を取り、ともによい教育の機会を子どもたちに与えていきたいと思います。

著名人に聞く|野球解説者・野球評論家 工藤 公康氏

考える力を養ってあげることで子どもたちの土台がしっかりする

sメイン選手としての実働29年間という、野球界歴代1位の記録を打ち立てた工藤公康氏。その密度も濃く、最優秀防御率4回、最高勝率3回など数々のタイトルを奪取してきた。そんな工藤氏が、長く現役を続けてこられたのはなぜだったのか。野球にまつわる「学び」や「教え」などと交え、たずねてみた。

成果を残すには「自らやる」という気持ちが大切

2011年に現役を退くまで、私は29年間、野球選手として戦ってきました。47歳という年齢まで現役を続けられた最大の要因は「学びたい」「上達したい」という気持ちが強かったからだと思います。たとえばピッチャーは「突っ込むな」とか「後ろに残せ」とか「肩を開くな」というように教わるのですが、かなり抽象的ですよね。どこまでが突っ込むことになって、どこまでが残していることになるのか。昔は安易に「答え」を教えるようなことはしなかったので、結局は自分で研究していくしかないんです。だから「学びたい」という欲求が強くなり、それが選手生活を長く続ける原動力になったのだと思います。
それでも球界へ入った当初は、正直言って2、3年で辞めるんだろうなぁなんて思っていました(笑)。球のスピード、足の速さ、肩の強さ、どれをとってもプロ野球のレベルは全然違っていたのです。しかし、大きな転機となったのが、入団3年目で経験したアメリカの野球留学(マイナーリーグ1A)。向こうの若手選手の環境は、日本に比べると劣悪だったのです。給料は1日15ドルしかもらえず、食べるのは毎日ハンバーガーやホットドッグばかり。グローブに塗るクリームも買えませんでしたし、同じ部屋に6人ぐらいが雑魚寝して生活していました。日本なら、ちゃんと個室があって、室内練習場もあって、給料も1年間は安心してプレーできるだけもらえる。入団当初はこんな厳しい環境でと思っていましたが、アメリカのメジャーの実情を見て気合いが入りましたね。
アメリカではもう一つ気づきがありました。それは、「やらされている」と思いながらする練習がとてもマズイということ。勉強でも仕事でもそうだと思いますが、「やらされている」と「自分からやる」では、成果に雲泥の差が生まれますよね。「せっかくだから、アメリカのパワーを身につけよう!」と気持ちを切り替えて練習するようにしたら、3年目のオフの間で球が10㎞も速くなりました。プロとはいえ、20歳そこそこの青年。少し甘い考えを持っていましたが、アメリカでの体験が大きく私を変えてくれました。この留学がなかったら、29年も選手生活は続いていなかったでしょうね。苦しみをチャンスに変えられるかどうか。ちょっとしたきっかけで、人は変われるのだと思います。

考えることで根が広がり、教えることで理解が深まる

自分でよりよい投げ方を会得するに当たっては、雑誌に載っている投球フォームの分解写真を見て研究したり、コーチの「突っ込みすぎだ」といったヒントを元に「なぜ、なぜ、なぜ」と自問自答を繰り返したりしました。教えてもらっているだけで大きな成長はないと思いますが、ヒントを元に考え抜くことで、根が広がっていくのだと思います。それから、バイオメカニクスと呼ばれる生体力学や動作解析など、科学的なアプローチもするようになっていきました。
若い時は簡単に上達したいと考えがちですが、物事というのはとても複雑です。1つのことでダメなら、自分が得てきた知識や技術を足したり引いたりしてみる。そうして研究を重ねていくと、コーチの言う「突っ込むな」といった意味が段々と分かるようになっていったんです。自分が理解できれば、今度は人に説明できるようになります。人に説明すると、今度はさらに自分自身の理解が深まるようになる。理解できたことはもったいぶらずに教えることで、自分のためにもあるんだなぁと気づきました。sサブ3
このように野球に対して貪欲になったのは、小学生の頃から。実は、私は野球というものがあまり好きではなく、どちらかというと嫌いなものを、親から無理矢理やらされていたのです(笑)。だったら早く上手になって、余った時間で遊びたいと考えるようになった。少し動機は不純かもしれませんが、もっと上達したいという気持ちはその頃から持っていましたね。また、身体が人よりも小さかったのも、奏功したのだと思います。というのも身体が小さいと、人と同じことをやっていては勝ち続けることはできません。だから、自分の力になりそうなことは、なんでもチャレンジしてきました。「体幹」を鍛えるトレーニングはいまでこそメジャーですが、私は20年以上も前から取り入れています。チャレンジしたトレーニングにはできなかったこと、分からなかったこともありましたが、それは一旦引き出しに入れて、捨ててしまわないことも重要ですね。あとで足したり引いたりするときにその引き出しを開けてみると、思わぬ発見があったりしますから。

優秀な指導者ほど教わる者の立場で教えてくれる

現役を引退してからはさまざまな活動をしていますが、その一つに野球教室があります。子どもに野球を教えているのですが、ちょっとしたコツを教えてあげると、本人も驚くほどいい球が投げられるようになる。子どもの顔つきが変わるのを見ると、教えるのって楽しいなぁとつくづく感じますね。きっと、塾の先生たちもそれがうれしくて仕方がないのだと思います。
コツを教え、いい投げ方を体験させると同時に大切にしているのが、ヒントを与えるということです。「こういう場合はどうするの?」と聞いてあげると、子どもは子どもなりに考えようとします。私が長年苦労して見つけてきたことをすぐに体験させてあげることは、「もっと知りたい」という子どものモチベーションを高めるのにとても役立ちます。しかしこれから長く野球をしていくなかで、私がずっと側にいて指導することはできません。そのため、子どもたちに考えさせるということも同じように重要なのです。自分で考えて工夫した結果うまく投げられたときには、その感覚をいつまでも忘れないでしょう。だから昔の人は安易に「答え」を教えるのではなく、考えさせようとしたのだと思います。私はその間を取って、早く「答え」を教えることで子どものモチベーションを上げつつ、じっくりと考えさせることで根を広げさせていく。それがいいのではないかと考えます。
また、私はいろいろなコーチや監督に教わってきましたが、すごいなと思う人ほど教わる者の立場になって教えてくれるんです。教えることは本当に難しいことだと思いますが、塾の先生たちも上から知識を与えるというスタンスではなく、教わる子どもの立場になって指導されるといいのではないでしょうか。

お世話になったプロ野球界に恩返しがしたい

私がもう一つ行おうと思っている活動が、筑波大学大学院で肘に関する勉強をすること。来年から通うのですが、一般的には「野球肘」といわれるものについて学ぶつもりです。その研究では子どもたちのフォームを改善しながら、同時にアンケートを採っていろいろなデータを集めることにしています。いままでフォームの改善時にデータを取る研究をした人はいませんでしたので、これは新たな試み。その研究結果を野球の指導に活かせば、子どもたちだけでなく、野球界にも大きな説得力を持つようになると思います。
私が大学院に通って肘について学びたいと思ったのは、子どもたちを守るためでもあるんです。子どものなかには投げ過ぎで肩や肘を壊し、野球を辞めていく子もいる。結果として、運よく故障しなかった子どものなかから、プロ野球選手が生まれている。でも、もし肩や肘を悪くしない子が増えれば、スター選手がもっともっと輩出するかもしれませんよね。イチローのような選手が毎年出てくれば、野球界はさらに盛り上がるでしょう。これだけ長く野球をやらせてもらってきましたので、自分なりに恩返しがしたいと思っています。sサブ2
そしてゆくゆくは、全国で「肩検診」や「肘検診」がおこなわれるようにしたいですね。伸び盛りの子どもたちをしっかり見守ることができれば、野球を辞めずにすむ子どもがきっと増えるでしょう。また、野球がそうした取り組みをし出したとなれば、テニスやバレーなど、ほかのスポーツにも波及するはずです。そうしてスポーツ界全体で子どもたちを守っていけたらいいですね。引退後はキャスターや解説者など、さまざまな活動をさせていただいていますが、こうした子どもたちのための活動も大切にしていきたいと思っています。分野は違いますが、子どもを教えるという点では塾の先生も同じ。お互いに、いい取り組みができればいいですね。

著名人に聞く|アパホテル株式会社代表取締役社長 元谷 芙美子氏

 

元谷 芙美子氏子どもたちには自分にしかできない大っきな夢を持ちビッグになってもらいたい

全国に100以上のホテルを展開し、今後も多数の出店を計画しているアパホテル。日本最大級のホテルグループだが、このグループを率いているのがご存じ元谷芙美子氏だ。開口一番「教育こそすべて!」と語ってくれた元谷氏は、教育に対する熱い想いを持っていた。

 

 

大きな目標を掲げれば達成手段は自ずと見つかる

金沢からスタートしたアパホテルですが、現在では全国規模で展開するようにまでなりました。なぜそこまで拡大できたのかというと、創業当初から「チェーン展開して日本一のこれまでにない『新都市型ホテル』をつくろう!」という目標を掲げていたからです。「新都市型ホテル」とは、アパの提唱する、都市ホテルの立地・外観・エントランスロビーを持ち、おもてなしは温泉旅館のようで、出張旅費で泊まれるビジネスホテル料金のホテルを指しますが、これを展開する大きな目標を掲げていたのです。元谷 芙美子氏 右カット

その戦略の一つとして行ったのが、立地を極めることでした。孫子の兵法には、「まず勝ちて然る後に戦いを求む」という教えがあります。ホテル経営に置き換えれば、「勝つ」とはすなわち好立地を確保すること。よい立地を手にしたのちに戦いを挑めば、負けることはないのです。先日、新聞に発表した新しいホテルの平均徒歩分数は、駅から約2分6秒。たとえどんなに素晴らしいホテルでも、駅から15分歩くようでは稼働率を上げることはできませんが、先月の東京都心のホテルのほとんどが稼働率100%を達成できているのも、いい立地を確保できているからだと思います。また、キャッシュバックなどの特典がつく会員制度を導入したのも戦略の一つ。現在会員数は620万人を数え、いまも月間約10万人のペースで増え続けています。さらには、インターネットの予約システムをいち早く導入したのも大きいでしょう。当ホテルのお客さまは、立地のよさから「時間を有効に使いたい」という優秀なビジネスマンの方が多く、そうした方々はほとんどインターネットからご予約いただいています。とにもかくにも初めに大きな目標を立てることですね。そうすれば、それを達成する手段はいくらでも見つかると思います。

さらに当社では「お客様に最高のもてなしを」という理念を掲げ、立地の選定や新しいシステムの導入だけでなく、客室の設備やレストランのサービスなど、さまざまな面で最高のクオリティを追求してきました。しかし、大切にしているのはお客様だけではありません。取引先や社員も同じように大事にしているのです。創業から29年経ちますが、これまでにリストラした社員はゼロ。「環境にやさしい企業」とよく言いますが、真に環境にいいとは、人事環境にやさしいことだと私は思っています。社員を大切にし、社員とともに成長してきたからこそいまがあるのです。これは、あらゆる経営に通じることだと思います。

心が柔らかいうちに、いかにいい指導をおこなうか

私は高校時代、福井でも一番の進学校として知られる学校に通っていました。卒業後はお茶ノ水女子大学に進み、先生になるのが夢。しかしちょうどその頃、働き者だった父が病気になってしまい、その夢を断念せざるを得なくなりました。特待生などの方法も考えましたが、東京で一人暮らしをするには少なからずお金がかかる。私の大学進学によって妹たちが犠牲になるかもと考えると、あきらめるしかありませんでした。

「私には、もっといい人生が待っている。それに、学ぶ機会はきっとまたある」そう思い、福井信用金庫へ就職。大学を受験しなかったのは進学クラスのなかで私一人だけでしたが、就職という道を選んだからこそ、いまの主人と出会え、こうして社長業を営むことができています。本当に、人生というのはなにが幸運をもたらすかわかりません。塾や予備校にも浪人生がいると思いますが、失敗を挫折だと思わず、前向きに頑張ってほしいですね。苦労が多ければ多いほど人はやさしくなれるし、強くなれます。元谷 芙美子氏02

ところで、なぜ私が教員を目指すほど教育に関心を持っているかというと、小学生のときに金森先生という素晴らしい先生に出会えたからです。小学校2年生のときの文化祭で、各クラスの代表が本を朗読するコンテストがあった。代表となった私は、金森先生から「あなたは記憶力もいいし、度胸もあるから全部暗記して朗読しなさい」と言われたんです。確か10ページぐらい、5000字はあったと思います。自分には無理だとあきらめそうにもなりましたが、何とか全部暗記して朗読し切った。そのときの達成感はいまでも覚えています。学校のスターになった気分で、その後の人生に大きな自信をもたらしてくれました。「頑張った人がトップを取れる」そのとき、そう考えられるようにもなりました。教育が人生を変えるということを、身を以て体験しましたので、多くの子どもの可能性を引き出せるような先生になりたかったのです。心が柔らかいうちに、いかにいい先生に出会えるかは、子どもにとってとても大切なことだと思います。ぜひ塾の先生方にも、子どもたちに勇気や自信を与えられるよう指導していただきたいですね。

教えるということは、自分自身を成長させること

高校のときに一旦は断念した大学進学ですが、私は53才から法政大学に通い、卒業。その後は早稲田大学の大学院に進んで博士課程を修了しています。一度はあきらめかけた夢を、こうして果たすことができたのです。そして現在では東京国際大学の客員教授を務め、教育者になるという目標まで達成することができました。元谷 芙美子氏03

社長と教授の両立は時間的にも厳しいとは思いましたが、なぜ私がお引き受けしたかというと、高校のときに教員になりたかったから、というだけではありません。経営者としていろいろな経験を重ねてきましたが、一番脂の乗った時期。そう考えているので、少しでも私の経験が若い人たちの役に立てばいいなと思ったからです。そして夢をつかむ熱い気持ちを奮い立たせてもらいたいですね。ですから、講義内容は人生論がほとんどです(笑)。学生はもちろん、その父兄まで聴講に来られるほか、学内の教授も講義を聴いてくださっています。

また、「教える」ということは自分のためにもなることです。教えることではじめて気づくこともありますし、自分自身をさらに成長させることができます。塾の先生にも教えることは自分のためでもある、ということを再認識していただき、日々の気づきや成長を授業に活かしていっていただきたいですね。

人生を大学と捉えれば学ぶことは尽きない

現在の教育システムは、大学へ行くことが至上の目標になっているような気がします。でも長い人生からすれば大学は一つの通過点に過ぎず、いってみれば一息つける「踊り場」のようなもの。そこからギアチェンジして、さらに上を目指して加速しなければいけないのに、勉強ができる人に限って踊り場で休む傾向にあります。私はさまざまな社会人を見てきましたが、社会では学校のときほど真剣に学ぼうとしている人が少ない気がします。学生には、自分の人生の目標を大学や大学院に置かず、人生自体を大学と捉えるような大きなビジョンを持ってもらいたいと思います。そうすれば興味はつきないですし、社会に出ても謙虚な気持ちでいろんなことから学べるでしょう。塾の先生方にも、ぜひ人生そのものが学びであるということを教えてもらいたいと想います。

それから、実業界に長く身を置く私が思うのは、いくら勉強ができたとしても必ずしも成功するとは限らないということ。大事なのは、毎日、命を燃やして生きる「熱さ」です。金太郎アメのように、どの瞬間を切っても同じ情熱があふれてくるような、高い意識と向上心が必要です。いい学校を出て、いい会社に入り、それなりの家を建てて幸せに暮らすのもいいかもしれません。しかし、この世に生を受けたからには、なにか自分にしかできないような大きな夢を持ち、ビッグになってもらいたいですね。

そのためのチャンスは、誰のもとにも訪れます。ただしチャンスは、「いつでもつかむぞ」という気概がある人にしかつかめません。いつチャンスが訪れてもつかめるよう、日々を意欲的に過ごしてもらいたいと思います。それからよくいわれるように、チャンスの女神には前髪しかないんです。過ぎ去るときに慌てて後ろ髪をつかもうと思っても、もう遅い。前髪をつかむためにもう一つ大切なことが、リスクを取るということ。リスクを取らずして決してチャンスはつかめませんし、幸せになることはできないと思います。可能性多き若者、そして彼ら彼女らを指導する先生。勉強だけではなく、人生を大局的に捉えた教育をおこない、高い志を持たせてあげてほしいですね。

著名人に聞く|エッグフォワード株式会社 徳谷 智史 氏

人の可能性を信じて、一歩前に進ませる支援をしていきたい。

大手戦略コンサルティング会社で企業改革に携わる中で、「教育から人や組織の可能性を広げたい」という想いを強め、キャリアを捨て一念発起し起業。現在の会社であるエッグフォワードを設立してわずか1年足らずで、延べ一万人以上の受講生を抱える。ビジネス×心理の専門家としても、各メディアで取り上げられる徳谷氏に、教育の可能性と目指す未来について熱く語ってもらった。

エッグフォワード株式会社 代表取締役 徳谷 智史

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エッグフォワード株式会社代表取締役。京都大学大学院非常勤講師。「ビジネス×実践心理学」のプロフェッショナル。京都大学経済学部卒業後、大手戦略コンサル・同海外オフィス代表を経て、エッグフォワード株式会社を創業。企業改革や海外展開支援に加え、実践・体感型スクールを運営し、世界一の教育機関創りを目指し、年間10,000人以上に対し研修・講演・セミナーを行う。
著書「いま、決める力(日本実業出版社)」、東洋経済オンライン連載、アジア消費者ラボ連載等 メディア掲載多数。
お問い合わせ:info@eggforward.co.jp

なぜ教育分野に挑戦するのか

前職を辞め、「人の可能性を広げたい」と起業した際は反対の嵐でした。京都大学を卒業後、大手戦略コンサル会社勤務、退職時は海外オフィスの代表だったので、「もったいない・リスクが高い」という言葉だらけでしたが、それでも教育事業に携わりたいという強い想いは抑えられませんでした。その理由は大きく2つでした。
1つは、「リアルに人にかかわりながら、可能性が広がるきっかけを提供したい」という想いからです。
前職の戦略コンサルという仕事は、経営課題を解決する充実した仕事である一方で、組織内の人に直に接する機会は必ずしも多くありません。s09_サブ5
例えば、不採算事業をうまくリストラすれば利益は増えます。しかし、本当はそこには生身の「人」がいます。塾に例えれば、不採算の教室を閉鎖しても、そこには先生もいれば生徒もいる。業績が良くなっても組織の人々が幸せになっているかにはギャップを感じることもある中で、直接人とかかわり、イキイキとさせるきっかけを提供したいという想いが次第に強くなっていきました。
2つ目は、世界をまわる中で、「教育の可能性」を身をもって痛感したことです。私は、よく世界中を放浪していますが、貧困エリアでの教育問題は深刻です。
例えば、アフリカの最貧エリアでは、非常に治安が悪いエリアがありますが、実際に南アフリカのスラム街に滞在する等して現地の方と触れると、背景には必ず教育問題が垣間見えます。教育を受けないので仕事もなく、故に強盗でもしないと生活ができないと真顔で語る人もいます。ケニアで貧困から抜け出せない子供は、「学校に行って仕事に就き、いつか兄弟にお腹一杯ご飯を食べさせられるようになりたい」と私に語ってくれました。
一方、日本はこれだけの経済水準にありながら幸福度はそれほど高くない。飢える人はまずいませんが、楽しくイキイキと働いている人の割合はどれほどでしょうか。私も、その問題を感じつつ自分が悪いわけではないと目を背けていましたが、何度も途上国に行く中で、まずは日本から、こうした閉塞感溢れる社会構造を変えるべく、新しい教育機会を提供していきたい、いかねばという使命感を徐々に持つようになりました。 私は実は、大学時代に塾講師をしており、やる気をなくしていた生徒がちょっとしたきっかけでイキイキと志望の進路に進んでいくのがとても嬉しかったのですが、私の根幹にはそうした人の可能性を広げていく支援をしたいという血が流れているのかもしれませんね(笑)

みんなの可能性を一歩前に

社名である「エッグフォワード」のエッグ(EGG)とは、人の可能性の象徴です。今はたまごであっても、きっかけひとつで前向きに(=FORWARD)進んでいってほしいという想いからなりたっています。 企業理念は、「みんなの可能性を、1歩前に」を掲げ、みんなと一緒になって最初の1歩を踏み出す支援をしていきたいという想いで事業を行っています。

「体感」の大切さと、講師側の「覚悟」

個人向けに行うスクール事業は、既存の学校への批判をする前にまず自分が創るべきとスタートし、延べ1万人以上が参加しています。主に社会人・大学生向けに、「心理学領域」と「ビジネス領域」を組み合わせて、イキイキと活躍できるよう多様なクラスを展開しています。
特徴の1つ目は、「体感型」中心で、座学だけのクラスはほとんどないこと。授業は教室内に留まらず、泊まりの合宿形式で進めることもあれば、ビジネス道場というクラスでは実際にお金を出し事業をして体感でビジネスを学ぶこともあります。
塾でも問題の解説を聞くだけでなく自分で解いて間違ってこそ成長があるように、実社会においても自分で行動できるようになるためには受身だけでは限界があると考えます。
特徴の2つ目は、講師陣です。講師陣は、各領域のナンバー1を多くそろえています。スポーツ、ビジネス、NPO等の各分野トップの生き様を踏まえてクラスを創り込んでいきます。ちょうど先日は、チームワークをテーマに、スポーツの日本代表チームと一緒に泊まり込みで学ぶクラスがありましたが、世界で戦っているチームからはテキストだけでは学べないことがたくさんあります。
講師が現状に甘んじてしまえば、それは受講者にも伝わります。私も含めて講師側は常にチャレンジして各界の一線にいないといけない、つまり、講師としての「覚悟」のようなものが必要だと思っています。

問題の核心を捉えつつ、相手を想う

企業向けには、人材開発事業を行っていますが、従来型研修では研修を受けてもすぐに元に戻ってしまう問題がありました。s09_メインそこで既製の研修の切り売りではなく、コンサルティングと継続型研修を組み合わせるなどして、各社が抱える人材の問題に沿って、オーダーメードの処方箋を提供しています。対症療法だけでなく、問題の核心を捉えた解決策が必要です。
時には、視野を広げるために海外まで出てリーダー育成合宿をすることもあります。
大事にしているのは、個人同様、クライアント企業と所属する人の可能性を信じ、それを広げるために常にベストなことをするというスタンスです。先方が、希望する研修でも意味が薄いと思えば、こちらから否定することもありますが、それも相手を思えば故です。

公教育にも変革の取り組みを

公教育機関への改革支援も行っています。私は、京都大学大学院の非常勤講師も務めていますが、自らが大学内で講義を行うのみならず、各学校の教育改革の支援も行っていこうとしています。一般企業と比較すればどうしても外の風が入りにくく、閉鎖的になりがちな公教育ですが、学校内でも、変化していかねばならないと考える人も少なくありません。とは言え、企業と比べ前例のないことはやりにくく、スピード感もどうしても遅くなるなど、変革は一筋縄ではいかないのが実態です。学内の人たちとしっかり向き合い、少しずつでも教育機関をより良く変えていくべく日々奮闘しています。

行動してこそ、変化は起こせる

こうして、個人、企業、公教育と3つの観点から、単独でなくそれぞれ合わせ技で人の可能性を広げる新しいきっかけを提供していこうとしていますが、それは、野党的に文句をいうだけはなく、まず自分自身が多様な方面から実際に行動してみてこそ、成果は出る、と考えるからにほかなりません。やってみて、うまくいかなければ、また修正してやり直せばよいのです。

「人を育てる」ということ

「人を育てる」ということには、企業、学校、塾でも通じるところがあると考えています。上司が部下と接するのも、先生が生徒と接するのも実は近いところがあります。
前提となる信頼関係を築き、目指すべき方向性を共有し、コミュニケーションを図りながら自主性を促し、同時に、自分自身も決断し、挑戦しなければなりません。「育たない相手が悪い」というスタイルでは通用しません。どうやれば育つのかを組織や相手の状況に応じて、考え、行動し、修正し続けなければなりません。
私は、教育とは、偉い誰かが知らない人に教えるというだけでなく、「本来相手の持っている可能性を引出し、伸ばすきっかけを提供すること」だと思います。それができる人こそが、企業で言えば良い経営者・リーダーであり、塾や学校で言えば良い先生なのだと思います。
ご縁があって、今年の10月の私塾界エグゼクティブセミナーでは、「これまでの指導を劇的に変える『3つの秘訣』」と題し、著書「いま、決める力」も踏まえて、人を動かす、特に現場の先生方の指導力を一歩前に進めるセミナーもさせていただくことになりました。私も、小さいころから塾とはかかわりが多かったので、人を育てるという観点から、塾業界の皆さんへのご支援もできればと思っています。

これから目指すもの

今の取り組みを進めながら、今後は、子供向け教育の拡充、特に小さいころから自分で意思決定をする訓練や、更には途上国での教育基盤の整備など取り組みたいことは山積みです。日々、チャレンジして失敗しての繰り返しですが、多くの方々の可能性を信じて、一歩前に進むための支援を人生を賭けて行い、「世界1の教育機関」を創りたいと思っています。

 

『月刊私塾界』2013年9月号掲載

著名人に聞く|タフ・ジャパン代表 鎌田修広さん

ときに厳しく、ときに優しく。確固たる信念と深い愛情で、消防隊員に新たなる体育指導を実践してきた鎌田氏。畑は違えど、同じ教育者として学ぶべきところは多い。鎌田氏はどんな想いで教育に取り組んでいるのか伺った。

一対一の関係を築くことにより、大きな可能性を引き出していく

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本気で向き合えば子どもは必ず変わる

私は学生時代を通じて五十種類ほどのアルバイトをさせていただきましたが、その一つとして家庭教師も経験しました。体育教師になりたかったので、先生というものはどんなものかを味わってみたかったのです。母校の中学の先生と連携し、中学生の九教科を、三年間、無償で担当しました。いま思えばまさに塾ですが、集まってきたのはやんちゃな子たちばかり。本当に毎回が真剣勝負でしたね。

その経験を通じて感じたのは、たとえどんなにやんちゃでも、子どもはみんな優れた能力を持った天才だということ。こちらが本気で向き合うと、子どもは一日で表情、意識、行動が変わるんです。どうやって彼らのやる気の導火線に火をつけて、本気にさせるか。それが私の楽しみでした。中学の先生からも「あの子の振る舞いはそっちではどうだ?」などと聞かれることも多く、塾と学校が協力しあう意味の大きさも実感しています。

私が子どもたちを指導するうえで意識していたのは、「知識のあるものがないものに教える」というスタンスではなく、見守るようなイメージ。大きな枠のルールを設け、そのなかで自由に学べるようにしていました。とかく狭い枠に閉じ込めて教育をしがちだと思うのですが、先生が大きな信念と覚悟を持ちつつ、子どもたちを信じてあげることも大切なのではないでしょうか。そうした先生の愛情は子どもたちにも伝わり、きっと大きく成長してくれることと思います。

鎌田修広氏02

防災力を高めるには道徳心を養う必要も

私が設立したタフ・ジャパンでは、一般の方に向けて「防災道徳」という教育をおこなっています。なぜ防災だけではなく、道徳も合わせて教育するのか。それは道徳心が養われてこそ、はじめて防災力が高まるからです。阪神淡路大震災が起きたとき、震源地に近い淡路島の北淡町はなぜか生存者が多かった。というのもお互いの寝室も分かり合っていたので、地域の人が協力してがれきの下からいち早く救出することができたのです。でも、一体なぜ北淡町だけがそういう意識が持てたのだろう。長年疑問に思っていたのですが、二年前へ現地に行ってみると「道徳教育推進の町」という看板をあちこちでみかけました。「そう だったのか…」。私は防災と道徳を一緒に教育することで、日本の人間関係力を土台から強くしたい。そんなミッションを掲げて、防災道徳の指導と普及に努めています。

また、東日本大震災ではたくさんの避難所が設けられましたが、ある避難所では「ここで暮らす人はみんな家族です。それぞれ自分の役割を見つけ、積極的に行動しましょう」と呼びかけていました。すると年齢も職業もバラバラなのに、まるで家族のような絆が生まれた。その避難所で暮らしていた人たちは、定期的に同窓会を開いているといいます。ともに支え合うことで生まれる絆を、私は教育に盛り込んで多くの人に伝えていきたいと思っています。

そうした想いを通じて立ち上げたのが、帰宅困難を実際に体験してもらう「災強!霞が関防災キャンプ」です。このプログラムでは明かりがない、トイレがないといった不自由な状況を作り出し、見ず知らずの人と一晩をともに過ごしてもらいます。リアルな帰宅困難を体験してもらうことで、多くの気づきをもたらし、行動をおこしてもらいたいのです。参加者は明かりがない不便さを感じれば携帯ライトを買いにいきますし、水がない恐怖を感じれば備蓄水を用意するようになります。また、わざと弁当が一つ足りないようにしておき、その状況をどうやって初対面の人と切り抜けるか、といったことも体験してもらいます。奪い合いが起きてはとても朝までもちません。ほかにもいろいろな仕掛けを作ることで道徳心を養い、防災に対する意識の向上を図っています。

現在消防體育の講師として指導中の神奈川県消防学校第209期初任教育の教え子とともに

現在消防體育の講師として指導中の神奈川県消防学校第209期初任教育の教え子とともに

火事場の馬鹿力を意図的に引き出すには

タフ・ジャパンでは、一般の方に防災道徳を教育するだけではなく、全国の消防隊員に「消防體育」というものを指導しています。これは学校体育とは違い、消防隊員のためだけにおこなう職業体育です。私がこの消防體育を指導する上で意識しているのは、メンタル、フィジカルの鍛錬だけではなく、勇気を育むこと。どんなに屈強な体でも、勇気がなければ消防隊員としては活躍できません。たとえば水泳を指導する場合でも、ただ泳ぐことだけをテーマにするのではなく、実際に消防服に身を包んだときに人を抱えて救出することができるのか、といった実践的なトレーニングをおこないます。そうした訓練を積むことで、いざというときでもひるむことなく、勇気が奮い出るようにしているのです。

また、人間が一番成長するのは、悔しさや苦しさで奥歯を噛む時。隊員たちを極限まで追い込むことで、いわゆる「火事場の馬鹿力」を意図的に引き出すようにもしています。二人一組でバディを組ませ、一人には腕立て伏せを、もう一人には実施者を背中から押さえつけるようにさせます。そして背中を押さえる者には、同時に相手が奮い立つような言葉を浴びせかけさせるのです。腕立て伏せをしている者は、とにかく重いし、苦しい。そんな辛い状況を与えると、バディに負けじと自分でも驚くほどの力を発揮し、達成感を味わうことができるのです。この際に大切なのが「なぜそれをするのか」、その意図をきちんと説明すること。トレーニングの意味を理解することで、隊員たちはより目的意識を持って訓練に臨むことができます。負荷の与え方は上手にコントロールする必要がありますが、一度限界を突破させることは、人を成長させるうえでとても重要だと思っています。

どんなに子どもが多くても一対一の関係を築くこと

消防體育においては、場合によっては何百人という隊員を一度に担当します。そんなときに私が気をつけているのが、一対一の指導をすることです。初めての講義では必ず時間をかけて一人ずつ握手を交わし、しっかりとコミュニケーションを取ります。一対一の関係を築くことは教育の原点だと思いますが、そうやって心の距離を縮めたら、今度はスクリーンを使って家族・恩師の紹介をします。すると、みんな必ず私に興味を持ってくれるのです。それから講義に入っていくのですが、講義では隊員から質問を集め、それに対して答えていくという手法を取っています。つまり毎回その場で組み立てる、オンリーワンのプログラムということ。心の距離が遠いまま、決まり切ったプログラムをおこなうのでは、隊員も集中力を維持し続けられません。いずれにしても、教育者はいかに一対一の関係を築き、全力で関わっていくか。それいかんによって、本人の持つ力を充分に引き出せるかどうかが変わってくると思います。

また、私はさまざまな方法で体を鍛えてきましたが、強い肉体を得るには筋力トレーニングだけではなくストレッチをおこなうことも重要です。筋力は鍛えれば鍛えるほど強くなりますが、それだけではダメなんです。ストレッチを取り入れて柔軟性を磨いてこそ、強靱な体を得ることができる。これは、教育にも同じことがいえると思います。叱るだけでは子どもは萎縮してしまいますし、ほめるだけではたくましくはなれません。さじ加減が難しくはありますが、両方をうまく使い分けることによって、しなやかで強い子どもを育くめると思います。

プロフィール

鎌田修広(かまたのぶひろ)

日本体育大学社会体育学科卒業。在学中にトライアスロン部を創設し、初代主将を務める。平成4年、就職した紳士服チェーンでトップセールスマンとなる。翌年、消防職員となった友人の薦めで横浜市消防局へ入局。消防訓練センターの体育訓練担当教官となり、3千人を超える職員の新たな体育指導法を確立。平成23年退職し、防災研修や人材育成事業をおこなう(株)タフ・ジャパンを設立、代表取締役となる。著書に『生涯現役消防筋肉』。
http://www.tough-japan.com/

『月刊私塾界』2013年8月号掲載