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- 最終回
- 2009年7月-12月
- 「私塾界」創業者、山田雄司永眠、そして本コーナー執筆者も筆を置く
本誌バックナンバーで読む学習塾25年の歴史も、いよいよ最終回を迎えることになった。この四半世紀が長いか短いか、塾長諸氏の感慨にゆだねよう。
ここで小社について少し語らせていただく。昨年7月19日早朝、この私塾界の創業者である山田雄司が永眠した。年末、スタッフは全国の学習塾関係者にご協力、ご寄稿いただき、追悼号「学習塾業界とともに歩んだ、山田雄司と私塾界、30年の歴史」を編集・刊行した。一冊丸ごとほとんどが山田雄司への追悼文に費やされているが、それでも、巻頭には年譜らしきものを掲載している。本コーナーが最終回を迎えるに当たって、それをここで抜粋し、25年、否30年をふり返ってみたい。
1980年代。「カオスから組織化へ」。80年代は学習塾業界の成長期、青年期であった。81年に総務庁(現総務省)統計局の「事業所統計調査」が、塾を初めて独立した産業として分類項目に加え、詳細な調査を開始するが、このときの塾の事業所数は18,683ヶ所。それが10年後に4万5,856ヶ所にまで増加する。こうした塾の成長期を牽引したのは70年前後に開業した塾経営者第二世代である。
1990年代。「安定化そして少子化の時代」。90年代は、少子化とバブル経済崩壊後の不景気風の中で塾業界の淘汰が始まった時代であった。90年の小学生数937万人、中学生数537万人、高校生数562万人、これが99年には750万人、424万人、421万人に減少する。「塾」と名のついた看板を出せば黙っていても客が集まった時期は、バブルの消滅とともに終焉し、質の高いサービスを提供する塾だけが生き残った。さらにこの10年は個別指導と現役高校生対象の衛星授業という新しい指導スタイルが確立された時代でもあった。
2000年代。「成長産業から成熟産業へ」。2000年初等のこの10年は進行する少子化と「ゆとり」教育と中学受験ブームの中で塾産業の再編が始まるとともに、深化した10年であった。塾業界が青年期から壮年期、ないしは成熟期へ移っていった時代と言っても良い。序盤は「ゆとり」で苦しみ、中盤は中学受験で沸き、終盤は再編に驚く。後半にはデジタル教材という新手のツールも登場した。激動の壮年期と言った方がいいかもしれない。









