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- VOL.4
- 1983年1月-6月
- 『家庭生活に定着した学習塾』
明けた'83(昭和58)年は、こんな年だった。
2月に青木功がハワイアン=オープンで優勝(米ツアー初)を飾り、3月には中国自動車道全線開通があり、4月15日には前号でも触れた「東京ディズニーランド」がオープンした。9月に大韓航空機をソ連機が撃墜したニュースが流れ、10月には東京地裁でロッキード裁判の田中角栄被告に実刑判決があった。
この年は年間を通じて総理大臣は中曽根康弘氏だった。「矢切の渡し」(細川たかし)がレコード大賞を獲り、「釜山港へ帰れ」(趙容弼)がヒットを重ねた。テレビでは「おしん」が話題を独占し、山崎豊子の著書「二つの祖国」がベストセラーになったというような、そんな年だった。
さて、我が学習塾では、各ご家庭からの熱い支持を受けて家庭生活に定着した観がある。その辺のところを毎日新聞(4/2付朝刊(※注'83年4月の当日付の意味である))が、日本長期信用銀行産業調査部の意見として次のように伝えているので、そのまま再録しておく。
「総理府の家庭調査によると、塾、家庭教師等に支払われる補習教育費は、全国一世帯当たりで、'70年の年間約2,700円から、'81年の1万8,000円へと6・7倍になり、この間、3倍になった消費者支出全体の伸びを上回るハイペースな膨れ方。補習教育費と消費者物価の上昇率を比較すると、'81年までの5年間で補習教育費は約60%アップ、消費者物価の約30%を大幅に上回っています。
こんなに補習教育費が高くなったのに補習教育費が伸びることができた最大の要因としては、その必需化が挙げられます。どの家庭でも、子どもの将来のためを思い、補習教育費の節約をためらいます。米、食物など必需的支出項目とは異なり、所得水準の上昇に伴って増える選択的支出項目でありながら、優先順位がかなり上位にくる項目と言えましょう。特に、現在どこの家庭の子どもも塾に通うようになり、所得水準も平準化すると、この傾向が顕著になっています。その証拠に、'80、'81年と勤労者の実質可処分所得(自由に使える所得)がマイナスとなる一方で、補習教育費は実質5%前後の伸びを示しています。
こうした家計の消費行動に支えられて、かつては大部分が地域に密着し、個人経営が主体だった学習塾も、企業の進出や全国チェーン化が進展し、学習塾の産業化が進みつつあります。
その結果、'76年の文部省調査では全国で1割程度にすぎなかった法人経営が、今では全国で約3割、東京だけでみると約7割に増えているといいます。(以下略)」
家庭生活の中で、学習塾が、消費者物価の上昇率を抑えて必需品となっている様子がよく分かるので、あえて引用した。









