塾の時代

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VOL.7
1984年7月-12月
『激動の年』

今回の大きなテーマは、「名門塾・あづま進学教室で起こった職員解雇事件から闘争支援共闘会議結成までの全過程」を扱った5、6、7、8、9月各号の記事であるが、組合側から直接聞き出した意見をもとに作成されているため、一方通行の感が否めず、まだまだ経営基盤が脆弱な学習塾業界においては、「あづま進学教室」に限らず、内部の組織固めと内部充実こそが課題であろうと実感した。

経緯のアウトラインはこうである。

'83年2月4日、浦和地裁第二民事部は、有限会社「あづま進学教室」(柏野正樹室長)を'82年9月に解雇された5人の同教室教師が提訴していた地位保全の仮処分申請につき、5人の元教師の主張を全面的に認め、雇用契約上の地位を保全し、解雇後の賃金を支払うよう求める決定をした。その後、同地裁の執行官が、あづま進学教室の動産の強制執行を行った際、柏野室長が「執行官に体当たりする」などして公務執行妨害罪と強制執行不正免脱罪で教師4人から告発されるなど、トラブルが続いていた。あづま進学教室の労使問題は、事態の収拾どころか、この新学期にも組合側のチラシが浦和駅頭や、各家庭に配布されるなど、労使の対立はエスカレートする一方である。そして'84年3月31日には、地労委の「誠意をもって団体交渉に応じよ」とする命令書が経営者側に出された。

この問題での本年の最終回を伝えた9月号でも、まだ解決していないので以降の取材を続行するつもりである。

というわけで、このテーマは一旦中座して、学習塾でのこの年の流れを84年12月号の巻頭時評「さらば、激動の年」から一部引用してみたい。

「……その中で、あらゆる意味で象徴的であったのは、『私塾協議会』の発足でしょう。数ある団体の中に、また一つ新顔が加わったと考えればごく日常的な、ありふれた事柄に過ぎないのですが、たとえば、旺文社の『中三時代』(12月号)での『……要するに、いままでテンデバラバラでケンカばかりしていたのだけど、これではよくないので仲良くしよう、ということ。(中略)これからは生徒数が減る一方だから、企業体としてはムヤミな宣伝費をかけず、コストダウンしたい意向がありあり。……』という受け止め方が一般的だとすれば、既成の団体も含めて、業界として厳しい反省をしなければという意味で、一つの問題提起ではあり得たと思うわけです。

さらに、経営者が、生徒を連れ去った元自塾の教師を告訴したとか、揺れに揺れた組合問題、放火事件、大型塾の陣取り合戦、転業、倒産等々、政府の臨教審の動向と共に、目まぐるしく変転したこの一年でした。

来る年に向けて、燃えるような生命力をたぎらせること、そのこと以外に生き延びる道はないように思います。孤島でただ一人、絶望の奥からなお生に執着し、妻を想い『おんみ故にわれ生くべし』と絶叫した『百合若』の感動的な執念を、新しい年へのはなむけに贈ります。愛すべき生徒達故に、雄々しく発展を続けてください。」

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