塾の時代

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VOL.8
1985年1月-6月
『公文式に学べ』

85年は、次のような年だった。

3月につくば科学万博がオープン。4月には中曽根首相の「民活化」路線で、電々公社がNTTに、専売公社が日本たばこ産業になり、民間企業として再出発した。8月には羽田発大阪行きの日本航空B─747ジャンボ機が群馬県御巣鷹山山中に墜落するという大惨事(520人死亡)が起きた。9月にファミコンソフト「スーパーマリオブラザーズ」が売り出され、年内に250万超が売れるという、とんでもない記録商品になった。総理大臣はこの年も中曽根康弘氏で、プロ野球では21年ぶりにリーグ優勝した阪神・タイガースが初の日本一に輝き、バース選手(セ・リーグ)、落合選手(パ・リーグ)が共に3冠王になった。「ミ・アモーレ」(中森明菜)がレコード大賞を受け、「セーラー服を脱がさないで」(おニャン子クラブ)という変な歌が流行した。

この年、学習塾・予備校の倒産が22件あり、負債総額は90億円に達した。学究社(国立学院予備校)が業界初の株式店頭登録公開を果たしたのはこの年である。

この年前半のハイライトは、コンテンツの2、3月号の上、下で伝えた「巨大化する“公文”の実態をさぐる」である。4、5月号でも経営資料ファイルで他のF・C塾(文化放送開発センター、教育システム、関塾、数学館ファクシミリ塾)と共に記載されたデータのトップに公文教育研究所がある。

本誌の特別企画のリード文には次のように書いてある。

「昨年度の年商(売り上げ)243億円。生徒数約134万人、教室数約27,000。こんな巨大な学習塾が他にあるだろうか。しかも、もはや算数・数学の公文ではない。国語や英語教育、幼児教育にも事業は拡大し、海外進出や障害児教育にも取り組み、社会的地位を確立した。この巨大教育ビジネスはいったいどこまで進むのか?

創立者公文公(くもんとおる)氏、教師生活33年間の一数学教師が始めたささやかな算数塾が、まさかここまで巨大なビジネスになろうとは、本人でさえも予想がつかなかったに違いない。『小学生でも方程式がとける』『算数ぎらいも優秀児にする』をキャッチフレーズに躍進を続ける公文教育研究会。その急成長の秘密は何か? その運営の実態は? そして今後の展開は? この数年間、学習塾業界にとってはまさに幾何級数的ともいえる急成長を続けてきた“公文”の実態に迫る!」

と書き、続いて公文公会長の略歴を、大正3年高知県に生まれ、昭和11年、大阪大学数学科を卒業。以後、高知県立海南中学を皮切りに、土佐高校、大阪市立桜宮高校、東校などで数学の教師を務める。昭和33年に公文数学研究会を創立し現在に至ると書いてある。

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