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自分の教育的な信念を貫くために学習塾「池田教育ゼミナール」から出発して「池田学園・池田中学校」「池田学園・池田高等学校」「池田学園・池田小学校」(設立の順)まで創ってしまった池田弘氏は、鹿児島県知覧の出身。公立小・中学校での23年間の教師経験の後、公立校の教師がアルバイトで受験指導するとはもってのほかとの新聞記事の批判に抗して、それならと学習塾「池田教育ゼミナール」を創設して独立した。

独立2年後、ラ・サール中学の募集が150名で、そのうち54名が、生徒数77人という小さな塾の生徒だったことが全国的に有名となり、マスコミの取材が集中した。このときの『週刊朝日』への池田先生の次の発言が知られている。

「私の、いわゆる池田方式がこだわっているのは、能力を発達させるためには、正しい刺激を、ふさわしい時期に与えることが必要だということです。学校教育も、適当な年齢で正しい刺激を与えるように考えられてはいますが、どちらかといえば、能力というハードウェアの性能を高めるという教育本来の役目は忘れられ、もっぱらソフトに関心が集まっているような気がします。ソフトは大切です。しかし、ソフトを動かすハードのはたらきはもっと大事だと私は思うのです。ハードの性能が高ければより複雑なソフト、難しいソフトを面白く使いこなせる。もっともっと高度なソフトの開発も可能になる。ハードの能力を意識的に、積極的に高めるべきだ、という考え方から生まれたのが池田方式です。池田ゼミの驚異的な合格率は、その結果として生まれたものにすぎません。」と。さらに語をついで「子どもたち一人ひとりに秘められた、人間的な能力を最大限に引き出すこと。一人前の社会人として、自立し、たくましく生きていく能力、記憶する力や考える力、集中力、創造する力などを身につけさせることこそ、教育の責務です。成績が伸びたとか、どこそこの学校に合格したというのは、その結果としてついてくるものなのです」と。

その後数年にして「池田教育ゼミナール」の塾生は4,500人に増えていた。

池田ゼミから1986年、鹿児島県吹上町に「池田学園・池田中学校」が開校。塾のつくった学校全国第一号としてつとに有名である。

その後四国の土佐塾(中高一貫教育)、富山の片山学園が、塾から出発した学校としてご存知の通りである。

池田学園と池田弘先生その人については、本誌創刊200号特別増大号(1997年12月号)に詳細が載っているので参照されたい。

背水の陣(はいすいのじん)
ということばがある。

出典は『史記』という歴史の本である。ご存知のように、尋常ならざる決意を胸に秘め、最悪の事態を覚悟して事に当たることをいう。我々の人生には、何度か正念場がおとずれてくる。そんなときに、「背水の陣」を敷いて、自分を奮い立たせるのも、一つの生き方である。個人のことばかりではなく、塾では、常に「背水の陣」で、日々の業務に邁進しなければならない。そうでなければ、他塾に負けてしまうからである。

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