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軽諾寡信(けいだくかしん)
ということばがある。

『老子』という古典に「軽諾ハ必ズ信寡シ」ということばがあり、そこからこの四字句が生まれた。そのへんの政治屋さんにでも聞かせてやりたいことばではないか。

 「軽諾」とは、よく事情も考えないで、「ハイ、わかりました」とか「なんとかやってみましょう」などと答えることである。つまり安請け合いだ。それをやったのでは、まわりの信頼を失うことになりかねないというのが「信寡シ」である。だからこのことばは、「安請け合いは不信の元」とでも訳すことができる。

 人は、発言を慎重にしなければならない。「イエス」を言う場合には、十分に事情を見きわめてから言うことが肝要である。ただし、発言は慎重にといっても、言いたいことも言えないでモジモジしているようでは困る。言うべきときには、きちんとこちらの言い分を相手に伝えられる表現力は当然、身につけておく必要がある。塾舎の生活でも、「軽諾寡信」をこころしてわが身を処することが大切である。

一樹百穫(いちじゅひゃっかく)
ということばがある。

『管子』という古典に、つぎのような有名なことばがある。

「一年ノ計ハ、穀ヲ樹ウル二如カズ。十年ノ計ハ、木ヲ樹ウル二如カズ。百年ノ計ハ、人ヲ樹ウル二如カズ」

 一年の計を考えるなら、穀物を樹えるのがいちばんいい、十年の計を考えるなら、木を樹えるのが一番いい、百年の計を考えるなら、人材を育てるのがいちばんいい、というのである。さらに『管子』は、続けてこう語っている。

「一樹一穫ハ穀ナリ。一樹十穫ハ木ナリ。一樹百穫ハ人ナリ」

 一回植えて一年後の収穫を期待できるのは穀物、十年後の収穫を期待できるのは木である。だが、百年後の収穫を期待しようとするなら、人材を育てなければならない、というのである。

 以前、当時の総理大臣小泉純一郎氏が山本有三原作の「米百俵」の話を引いて得意になっていたことがあったが、どうせ引用するならば、こちらの「一樹百穫」の故智にしてほしかった。

 目先の利を追いまわしているだけで、百年の大計が忘れられていることが多いこの国の現状を思うと、せめて教育の世界では、「一樹百穫」の思想を貫く信念が必要だと思うのである。

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