塾の時代

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VOL.22
1992年1月-6月
『三国志』をのぞく

 1992年は、バブル崩壊直後だが、何もかもが一気に萎えたわけではなかった。東海道新幹線で「のぞみ」が運行開始(3月)したり、山形新幹線が開通(7月)したりと、交通インフラが整備されていった。しかし、10月に、大蔵省が都市銀行等21行の9月末の不良債権は12兆3,000億円と発表した。バブル崩壊の影響は厳しさを増していた。

 この年の総理大臣は、通年宮沢喜一氏だった。プロ野球日本一はこの年も西武ライオンズが制し、「白い海峡」(大月みやこ)がレコード大賞に輝き、「君がいるだけで」(米米CLUB)がヒットをしていた。毛利衛氏が宇宙飛行に参加。きんさん、ぎんさんが明るい人柄と長寿を祝福され時の人になっていた。

 大阪の2つの大手塾「向学塾」と「メリック」が合併して「WIN」としてスタートしたことが大きな話題になった。(株)ナガセが「東進衛星予備校」を、全国の学習塾を対象にFC展開を開始した。幼児教育がブームになり、学習塾は上と下へ攻撃範囲を拡げたのである。

 前章で中国古典を欠席したので、本章では、まず、その方を急ぐ。

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