「教育のチカラ」は、『月刊私塾界』で連載中のシリーズ「民間教育の社会的役割とは?」を再編集して掲載しています。未来を担う子どもたちに、教育ができることは何か?学習塾のトップが、子どもたち、そして社会に対して貢献できることを語る。

- Vol.4 株式会社中萬学院
株式会社中萬学院 代表取締役社長 中萬隆信 - 人間の本質を
バランスよく教えられる教師を育て、
教育の質を高める - 神奈川県全域で15,000名以上の生徒を指導する中萬学院は、創立から半世紀を経た今も成長し続けている全国有数の名門塾である。創立以来、「受験を通しての人創り」を掲げ、近年、新たに「笑顔共創」を社内標語として独自の教育に取り組んでいる。いかなる時代も社会でリーダーとして活躍できる「人間力」を鍛えることを目標とした教育を行なう中萬学院の社長、中萬隆信社長にお話を伺った。
塾の社会的役割-1 本業にこそ、社会的役割の第一義がある
『街場の教育論』の中で、内田樹氏はこう述べています。
「教育ほど様々な場で無責任に論じられるテーマはない。なぜなら、教育の成果は早くても5年、ともすれば10年、20年経て検証されるものだから。従って、教育施策の推進者は、誰も責任を追及されることはない」
私は塾が「教育を先に語る危うさ」を社員に伝えています。「あくでも塾は、教育サービスでよいのだ」……と。塾の場合、成果が五年後では困ります。塾に通わせて1ヶ月でもどう前向きの変化が見られたのか、長くても半年、1年で成果がみえないようなら、この不況期、多額の出費を許せる家庭の方が稀です。だからこそ、私たちは
1.学習の必然を伝え、モチベーションの向上に努める
2.集中して学習させる
3.教科に興味や関心を抱かせる
4.達成感を与え、一人ひとり丁寧に承認する
5.学習方法を体得させ自立学習の支援をする
etc。
このように様々な工夫と努力をし、正面から子供たちと向き合い、その成果に責任を持つのです。こうして学習指導の場としては義務教育の学校以上の評価を得、市民権を獲得するに至りました。なぜなら、10年、20年後を想定した無責任な教育論より、半年、1年後で成果を出すための指導の中に、結果として「教育の本質的財産」が見えることが少なくないからです。この点で「教育者」と自らを定義づけるより、「塾屋、塾人」として胸を張ったほうが、よほど自然で潔いと私は思うのです。
塾の社会的役割-2 私企業人であるからこそ、実社会感覚を指導に反映できる
大学で教育学などを学び、教職課程をとって、試験に合格し、23歳前後で社会経験もなく、すぐに学校の教師になる……ともすれば、学校という閉鎖的社会に染まり、それ以外の社会的感性に疎くなる可能性も否定できません。例えば、経済活動全般から、日常的に発生する人々の様々な想いやダイナミズムを体験的に知らずに生きるとすれば、子供たちの将来像を充分にイメージして指導することは難しいことでしょう。(私の場合、元々両親が公立学校の教師でしたが、父が教師を辞して塾を興したのが運命の分かれ道でした)
その点、塾の教室長や講師なら充分だと申すつもりはありませんが、少なくとも経営的自立の前提から、環境対応能力、課題解決能力、異文化との建設的なコミュニケーション能力、企画力、営業感性などは直接、間接日々問われることになります。つまり、閉鎖性こそが最大のネックになるわけで、実社会のダイナミックな動きに対し、開かれたスタンスと視野こそが自らの創造的資源になるわけです。いわば、塾講師、教室長、経営者の全てが、学びの必然を日々突きつけられていると言ってもよいでしょう。先に触れた内田氏の「街場の教育論」で、「学びの関係とは教える人と教えられる人という2項関係ではない。現在学んでいる人からしか学べないものだ。師と弟子とそしてその場にいない師の師、その3者がいないと学びは成立しない。だからこそ学びの本質は3項関係である」と述べられていますが、学びの必然に乏しい現場より、前出の3項関係は塾でこそ成立し易いと思うのです。








