最年長のガキンチョぱぴぃが贈る、痛快愚痴ネタ集! 先生なんて好きじゃなきゃ、やってられへん

勤務環境、保護者、生徒、上司、大学生講師…。週休2日・福利厚生の充実が当たり前の世の中で、まだまだ決して労働環境が整っているとは言いがたい教育業界。
たしかに愚痴はたくさんあるけれど、でもやっぱりやめられない。
結局、子供が好きで、教えることが好きで、この仕事が好きだから。

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愚痴の27

「好きだから学習塾やってるんです-1」

『学習塾独立から倒産まで!』

 国の学習塾で日々奮闘している講師のみなさん、お元気ですか?2010年、前厄を迎えてもいまだに気持ちだけは10代のがきんちょ、ぱぴぃでございます。

 て、今回から最終回まで、濃い話をいたします。それは学習塾独立から倒産まで!

 一部の方はご存知の通り、僕自身は今の塾の前に一度、独立から倒産までを経験しています。その塾の名前をS塾とします。個別指導専門塾Sは、8年で5店舗になるほどに成長しました。順調に見えたからこそ、「なんであの塾がつぶれたん?」とうわさされるほど、急激に倒産してしまいました。

 倒産してから約2年。そろそろ暴露してもいいかなぁと思い、今回執筆することにしました。

 もちろん、「今更、思い出したくもない過去を掘り返さなくてもよいのでは?」という意見もあるかもしれません。

 壊していく様子を見るのは、人生の中でなかなかできる経験ではありません。しかしながら少子化の時代の中、学習塾の撤退は決して他人事ではないはず…。

 一つは僕のコラムを読んでくださっている塾経営者のみなさんに、そしてもう一つは僕自身がいつまでも忘れないようにするために、恥を忍び、話をさせていただきます。

 

1章 独立

 今から10年以上前、僕は京都に本拠地を構える、中小学生対象の学習塾のいち社員として勤務していました。

 その会社で高校部を立ち上げることになり、しばらくは高校部に移ることになりました。中学部・高校部に在籍したのは合計7年。この間にたくさんの仲間と知り合うことになりました。

 その会社の高校部は映像授業が主体でした。また、配属された校舎には個別指導部もあったため、たまに個別指導部関連の仕事もしていました。このときに、「高校生対応中心の個別指導塾構想」ができたかもしれません。

 その仲間の一人がある日、「高校生を対象とした個別指導学習塾をつくろう!」といいました。この提案した人こそが、後にS塾の代表となる人です(以下、A氏とします)。

 A氏の誘いに対し僕自身はあまり深く考えずに、「(おもしろそうだし)やろう!」ということで、大阪府下のH市に個別指導専門のS塾を立ち上げることにし、その会社の社長・上司にお願いし、(今まで本当に目をかけてくれていたのにもかかわらず、身勝手な理由で)辞職させてもらいました。

 (今考えると、在籍していた会社の社長・上司って、太っ腹だなぁと思いますね。)

 て、独立です。先ほどのA氏の提案で決心したのが1999年12月。当時29歳。来年3月開校に間に合わせることを考えるとわずか3ヶ月しかありません。そこで5人ほど学生のアルバイトにも声をかけて手伝ってもらうことにしました。その内の一人が今もテンピースで教室を切り盛りしているB先生です。

 会社は、「ヒト・カネ・モノ」といいますが、カネ・モノに比べて「ヒト」だけは恵まれていました。

 今塾を経営しているみなさんと同じだと思うのですが、始めは資金がありません。そのため、いろんなところからかき集めました。また、新品の備品はもったいないので、さまざまなところから貰い受けました。また、パーテーションなどの設置費用ももったいないので、自分たちで行いました。今となっては懐かしい思い出です。

 んなこんなでバタバタしましたが、なんとか無事、2000年3月にオープン!初めて問い合わせの電話が鳴ったときのなんともいえない緊張感と、その生徒のことは今でも覚えています。

さて、ここからどんな軌跡をたどるのか。。。それはまた次回にお話します。

本名:中平徹也(なかひらてつや)。
現、個別指導予備校10Ps(テンピース)代表兼大学・予備校講師。
京大農学部からバーテンダーを経て、教育業界に。
常に複数の団体に所属しているため、大学、予備校、小・中学集団授業、個別指導、衛星授業管理など、さまざまな指導形態を経験。指導教科は物理・数学・地学など。
趣味はダーツ、海外旅行。
特技はマジックと4ヶ国語話せること。
座右の銘は「人生愉しく」

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