勤務環境、保護者、生徒、上司、大学生講師…。週休2日・福利厚生の充実が当たり前の世の中で、まだまだ決して労働環境が整っているとは言いがたい教育業界。
たしかに愚痴はたくさんあるけれど、でもやっぱりやめられない。
結局、子供が好きで、教えることが好きで、この仕事が好きだから。
愚痴の28
「好きだから学習塾やってるんです-2」
『学習塾独立から倒産まで!』
全国の学習塾で日々奮闘している講師のみなさん、お元気ですか?寒さのあまりパソコンをコタツの上においてコラム書いている、ぱぴぃでございます。
さて、今回は前回の「学習塾独立から倒産の話」続きです。
第2章 開業から発展まで
2000年3月に代表A氏と僕、B先生を含む学生スタッフ5名とで無事、個別指導専門のS塾がオープン。
それから少しずつ塾が大きくなり、売上も好調に伸びたので、教室を増やしていきました。ちなみに2号店の高槻教室をつくるときに僕は高槻市に転居しました。このときから僕は高槻市民になったわけです。
さらに、3教室目、4教室目…と拡大にあわせて、どんどん仲間も増えていきました。最終的には5店舗で社員7名、学生講師も40名以上にまで増えました。
僕たちが恵まれていたのは、拡大するために必要なスタッフがほとんど知人でまかなえたことです。サラリーマン時代に僕の後釜で入ってきたC先生や学生講師時代からの付き合いのD先生、もともと高槻教室でアルバイト講師だったのがそのまま社員になってくれたE先生、同じく3教室目の教室からD先生を慕って社員になってくれたF先生など、知人からどんどん拡がっていったため、会社なのに、仲のいいサークルのような会社になっていました。おかげで(?!)、スタッフ同士結婚したり、交際したりという縁もうまれました。なお、このとき一緒に働いた社員は今でもたまに会っています。
ところで会社としてはもはや個人事業ではなく有限会社となり、雑誌に取り上げられたこともありました。ちなみに僕自身は経営幹部という立場になり、広報や開発業務、総務を主にやっていました。
また、代表のA氏は学ぶことが好きなので、僕や社員スタッフはさまざまなセミナーに引っ張られました。単なるお付き合い的なものもありましたが、このとき得たさまざまな学びや人脈は今でも大きな財産です。このコラムを載せていただいている私塾界もこのようなセミナーからのつながりです。
第3章 崩壊は一瞬
順風満帆な塾経営でしたが、急に転落期に入ります。A氏がやや方向性を見失ってきたのです。

そこそこ成功した経営者が方向性を見失って失墜するのはよくあります。こういった失墜はたいてい新たな人物の出現が引き金となります。
S塾の場合も例にもれず、代表という孤独な環境での、たった一人の出現によって、一瞬で倒産の危機に追い込まれてしまいました。
2005年9月。代表A氏はG氏と知り合いました。G氏はいろんな有力経営者の方に顔が広い女性です。教育関係者ではありません。どうゆういきさつでA氏と縁があったかは知りませんが、とにかくA氏はそんな顔の広いG氏に惚れ込んでしまいました。
異性、同性関係なく、魅力ある人に対し惚れ込むことは珍しいことではありません。ですから初めのうちは気にも留めませんでした。しかしながら翌年1月、このG氏がS塾の経営にからむようになってきました。ここからが一気に崩壊していくのです。
そもそも塾経営に関わったことがない人が経営者レベルの権限を持つと……。
だいたい想像はつくと思います。度重なる感情的解雇通告。明らかに私用と思われる買い物の領収書。さらには多額の使途不明金…。

2月以降、A氏はG氏といろんなところに旅行に出かけるようになりました。「出勤しない方がせいせいしていいやん」と思うかもしれません。問題は、口座から現金を下ろし、携帯電話もつながらない状態で旅行にいってしまうのです。
おかげで業者の支払などが滞り、催促の電話がバンバンかかってきます。しかし連絡つきようがなく、いくら残っているかもわからないため、いつ払うかの返事もできず、毎日謝り続ける日々。さらにはある日、会計士から呼び出されたので行ってみると…。なんと黒字だったはずになぜかウン千万の新たな借り入れが!!!!!!
そしてとうとう2月末に僕は胃を壊してしまいました(ToT)
さてどうなるのか?続きは次回に。


- 本名:中平徹也(なかひらてつや)。
現、個別指導予備校10Ps(テンピース)代表兼大学・予備校講師。
京大農学部からバーテンダーを経て、教育業界に。
常に複数の団体に所属しているため、大学、予備校、小・中学集団授業、個別指導、衛星授業管理など、さまざまな指導形態を経験。指導教科は物理・数学・地学など。
趣味はダーツ、海外旅行。
特技はマジックと4ヶ国語話せること。
座右の銘は「人生愉しく」







