剣道があった。音楽があった。
仲間が、愛する人が、恩師がいた。
それらすべてが、彼の信念を創り上げている。
栄光も挫折も経験し、
夢と希望を乗せたバイクが西へと走る。
文/松見敬彦(トリガーワークス)
答えはシンプル、「勉強はスポーツだ!」
「オレは建築家になる。お前はどうするんだ」
「さよなら、東京」――。六年前の一月、犬走智英(当時二四)は恋人を背中に、箱根峠をひたすら西へ、西へ。二人を乗せたバイクが目指すは、犬走の故郷・佐賀だ。寒風の中、体は冷え切っていたが、心はたぎっていた。
さらに遡ること、幼少期。犬走は、あるガキ大将と仲良くなった。偶然にも、二人とも剣道少年。「コイツには負けねー!」とライバル心に燃えて練習を重ね、地区大会では優勝も飾った。
人としての礼儀。競い合い、高め合う喜び。剣道は、塾人・犬走としての原点を叩きこんでくれた存在だ。
勉強も得意だったが、転機が訪れたのは高校時代。地元の進学校へ進んでからだ。「井の中の蛙」という言葉の意味を思い知らされ、あっという間にドロップアウト。髪を染め、バイクを乗り回すようになる。
ただ、素行は荒れていたが、同時に「なぜオレはこうなった」「教育って何なんだ」という想いも常に抱いていた。仲間とたむろしては、将来を語り合う。「オレは建築士を目指すぞ。犬走、お前はどうすんだ」とガキ大将。「そうだな、オレは……教育の道に進みてえ」。
Black prom dresses
Blue prom dresses
躁鬱状態。どん底を味わう
田舎町の不良少年にとって、東京は憧れの街だ。そこに行けば、何でも叶う気がするビッグタウン。犬走にとってもそうだった。なんとか要領よく勉強し明治大学へ進むが、「デカいことをやりたい」という気持ちと、反逆精神は持ち続けていた。自分を代弁するかのように社会の矛盾を痛烈に批判するHip-Hop音楽制作にハマり、Lyric(歌詞)をノートに書き綴った。恋人と出会ったのもこの頃だ。
その後は大手進学塾に入社し、そこで頭角を現す。社長の信任も厚く、起業家マインドの薫陶も受けた。やりがいを感じ、昼夜を問わず働いていたが、好事魔多し。自らを追い込みすぎ、心と体を病んでいく。「オレがやらなきゃ」という義務感だけが自分を動かしていたのだ。胃痛だと思って診察を受けた結果は「抑鬱状態」、即ドクターストップ。休職に追い込まれ、虚無な日々が過ぎて行った。
さよなら、東京
ある日、見かねた恋人は「カフェでも行ってノンビリしたら?」と勧めてくれた。ココアをすすりながら「教育とは」という想いが頭をかすめていく。「オレを始め、田舎で育った人の多くは『競争』を楽しむことを知らない。そんな育ち方をして、厳しい実社会に放り込まれたらどうなる。オレみたいに壊れちまうんじゃないのか」。「練習して、できるようになる、ライバルに勝てる、そうすれば嬉しい。実にシンプルじゃないか。勉強はスポーツと一緒だ」。「自分の塾を創りたい。そうだな、名前は何にしよう?」……かつて綴ったLyricノートをパラパラめくり、見つけた言葉がこれだ。
『BRAIN SRORMING』――「いいな、これ。『ブレスト』か。批判せず、アイデアを出し合う塾。「自分がやらねば」に固執していたオレにピッタリだ。もっと頭を柔らかく、いろんな人にアドバイスをもらいながら、愛される塾。スポーツのように勉強に取り組む塾。競争を楽しめて、社会を強く生きる子どもを育てる塾。オレはそれを創りたい」。
初めから気付いていたのかもしれない。社長は握手で送りだし、恋人は涙を浮かべこう言った。「私の夢は、あなたの夢を支えること」。もう迷うことは何もない。二人はバイクにまたがり、佐賀へとエンジンをうならせる。
だが、犬走は当時知らなかった。やがてその塾は、人口わずか九〇〇〇人の小さな町で、一〇〇名の生徒が通うナンバーワン塾となることも。かつて夢を語り合ったガキ大将は一級建築士となり、教室を建ててくれることも。恋人は妻となり、愛する子が生まれることも。「さよなら、東京」――。バイクはいま、関門海峡を越えた。光が見えた気がした。(敬称略)
プロフィール
犬走智英 TOMOHIDE INUBASHIRI
1982年、佐賀県出身。生徒の約5割が学年10位以内という地域きっての定員制進学塾・ブレストを運営。剣道や挫折の経験を通じて学んだ「勉強はスポーツだ!」がスローガンに、「競争を楽しみ、社会で折れない子どもを育てる」ことをミッションに掲げる。授業はライブに加え、映像やITを駆使して運営。武雄市の公立中に英語の外部講師として招かれるなど、教育者としての評価も高い。
●WEBサイト
http://www.buresuto.com/
●ブログ「地域NO.1 進学塾ブレストブログ」
http://ameblo.jp/inu-the-husky0802/