古田織部に「武家茶」指示、秀忠か 親族の家譜に記述

 武将で茶人の古田織部(1615年没)の親族の家譜に、徳川秀忠が織部に格式を重んじる武家流の茶法を定めるよう命じたとする記述があることが9月15日、古田織部美術館(京都市北区)の調査で分かった。これまで、千利休に代表される町衆の茶道に代わる武家茶道(大名茶)を定めるよう織部に命じたのは、豊臣秀吉とされてきた。

 江戸幕府2代将軍となる直前の慶長10(1605)年4月、秀忠は京都の織部宅を訪問した。家譜によると、その際「利休の伝える茶法は武門の礼儀が薄い。その旨を考えて茶法を改め定めるように」と命じた。織部は新たに武家流の茶法を定め、諸大名はその茶法を伝えたと書かれている。

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